うつ病物語 その163「うつ病復帰者の監督する者に必要な心構え」

うつ病復帰者を監督する者に必要な心構え

今日は、約1年振りに、本社人事部の友人Aが私の住む街に出張して来る日だった。出張の目的は色々とあるみたいだったが、その前に、私と会う時間を作ってくれていたのだ。

友人Aとは、もう20年近くの長い付き合いになるので、1年振りでも、特にどうということはない。互いの近況やなんかを話しながら、夕方のまだ明るいうちから居酒屋に入った。

1年前の再会は、職場復帰して3ヶ月が経った頃で、自分としては随分と元気になったつもりで友人Aや元部下と楽しい一時を過ごしたが、今振り返ると、回復具合はまだまだのレベルだったなと思う。

気の置けない人達とお酒を飲みながらの会話であっても、どこか相手のペースにずーっと引っ張られ、相手に付いていくために無意識に頑張っている、という表現で合っているだろうか?たまに自分側に引き寄せて話題を振るとか、何かちょっと重たいハナシをするとか、そういう力感に欠けていた。やはり自分のバイタリティに自信が無く、自然と、体力温存的な動きになっていたのだと思う。

こうやって過去形で振り返ることが出来るのは、現在の方が調子が上回っているからだ。

友人A「〇〇の会社も大変な時だけど、ま~〇〇は随分と元気になったよね。中々いないよ、ここまで復活する人って。」

私「…ふ~ん、そうなの?」

友人A「俺の時みたいに、2週間完全に休んで回復出来たくらいのやつはともかく、何か月も休職したようなケースは、…やっぱり難しいよ。」

私「そうか、そうかもね…。うん、俺の場合は、C工場長が凄かったと思うわ。だってさ、一応は課長職にある者が異動して黙々とライン作業して…、それが半年以上経っても、何にも言ってこないんだもの。普通だったらさ、『早く課長らしい仕事をしないとな』と急かしたり、色々と求めてきたりすると思うんだよね。C工場長は、距離を置いたところから俺のことをそれとなく見てたような感じで、本当にたまに、『〇〇、どうだ調子は?大丈夫か?』って聞いてくるくらいで、他は全くナシみたいなもんだった。」

友人A「う~ん、そりゃ凄いね。出来ないわ、なかなか。」

私「うん、そう思う。そうやって相手にストレスを感じさせず、かといって放置してはいない距離を保つのは難しいよ。ホント、そのスタンスのお陰で随分助けられたわ。」

これは大企業とか、しっかりした会社であればあるほど、うつ病から復帰してきた者をきちんと管理しなくては、という組織的な動きになる。その結果、どうなるかというと、人事部から当該部署長、そしてライン長という流れで”うつ病復帰者の回復プログラム”が降ろされ、業務が軽減されたり、定期面談が実施されたりするだろう。

それは正論の進め方なのかもしれないが、もし私が、C工場長と毎月面談しなければならず、C工場長はそれを文書にして総務や役員に挙げなくてはならない、というようなガッチリしたプログラムだったら、私は、その度に凄く申し訳なかったり情けない気持ちを味わいながらの一年間だっただろう。結果的に、回復具合の足も引っ張ったような気がしてならない。

 

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