ひとりごと雑記 その9 「最も過小評価されている名馬『ビワハヤヒデ』」

ひとりごと雑記

ビワハヤヒデの地味だけど凄い記録

競走馬でいうところの「名馬」の条件といったら何だろう?

やはり、三冠馬だったり、G1レースを5つも6つも勝ったり、史上初の快挙を成し遂げたり…、と、そういうことだと思う。

近年では三冠馬と言えばディープインパクトにオルフェーブル、G1をいくつも勝ったといえばキタサンブラックやジェンティルドンナ、史上初の快挙といえば牝馬でダービーを制したウオッカ…、そんな名馬は他にも結構いる…確かにいるが他にもいる。ちょっと地味だが物凄い記録を持つ馬がいる!

それは1993年から1994年にかけて活躍した「ビワハヤヒデ」だ。

では地味だが物凄い記録とは一体どんな記録なのか?当たり前だが競馬は1着を争う競技なので、いつも1着になる馬が名馬であり、競馬ファンとしても賭けやすい馬。

しかし、馬券を買う側は競馬にアクシデントが付きものなのをよーく知っているので、実は「連勝複式」といって、1着がダメでも2着には入るだろう、という予想で賭けることが多い。

それでも、競馬はなかなか的中しない。一流の強い馬でも、レースの度に1着か2着に入り続けるのは至難の業だからだ。

競馬用語の「連対(れんたい)」とは、その馬が1着か2着に入ったことを差すが、なんとこれをデビューから引退までの3年間に渡って15回も連続したのが「ビワハヤヒデ」だ。

なにしろ15回連続連対という記録は、1960年代の伝説的名馬、それこそ名馬中の名馬である「シンザン」の19回に次ぐ中央競馬記録で、ビワハヤヒデが1994年に引退して26年が経った2020年でも更新されていない大記録。

そんな競走馬らしからぬ安定感に溢れていた「ビワハヤヒデ」。しかし日本の競馬史では、せいぜい「一刻強かった馬」程度の扱いであり、大きな存在感はない。

BNW時代

牡馬でも牝馬でも「三冠」と呼ばれるビックレースがある。これは3歳時にしか挑戦できない一度きりのもので、牡馬の場合は「皐月賞」「日本ダービー」「菊花賞」の3つだ。

この3つを制すと三冠馬となるが、戦前から続く日本競馬史にも僅か7頭しかいないくらいの奇跡的な出来事なので、普通は、人気馬から穴馬まで色んな馬が入り混じって三冠を分け合うことになる。

馬券的にはそれが面白かったりするのだが、日本中の注目を集めたり、競馬会が盛り上がって売上がドーンと伸びるのは「3強」と称される馬が登場してライバル同士が激戦を繰り広げるシーズン。1993年は正にそんなシーズンだった。

B「ビワハヤヒデ」には脂の乗り切った日本一の騎手「岡部幸雄」

N「ナリタタイシン」には若き天才と称された「武豊」

W「ウイニングチケット」には岡部の一番の好敵手である「柴田正人」

日本を代表する騎手が跨るこの3頭の人気は抜群で、その頭文字を取ってBNWと呼ばれ、「皐月賞」「日本ダービー」「菊花賞」の全てで上位人気となり、レース結果も皐月賞はナリタタイシン、日本ダービーはウイニングチケット、菊花賞はビワハヤヒデと綺麗に分け合った。

競馬を知らない人は「強い馬同士なんだから、そういうものじゃないの?」と思うかもしれないが、競馬なんてものは、事前人気と結果が滅茶苦茶な方が多いくらいで、このように人気と結果が春から秋までのシーズン通して伴うことは凄く珍しい。

古馬戦線の王者となったビワハヤヒデのライバルは?

菊花賞を制した翌年、古馬となって充実期を迎えたビワハヤヒデは無敵だった。G2の京都記念を7馬身差で圧勝すると、天皇賞(春)はナリタタイシンを余裕で下して優勝、ライバルが出走回避した宝塚記念は2着馬に5馬身差をつけるレコードタイムで楽勝した。

前年までのBNWがあっという間に「ビワハヤヒデ」1強、上世代にもハヤヒデに対抗できる馬は見当たらず、もうこの年の古馬G1レースは全部ビワハヤヒデが勝つのではないかと世間では思われた。

…しかし、ここからが物語なのだが、なんとこのビワハヤヒデには、一歳下で父違いの半端じゃない弟がいた。1994年の三冠馬で日本中を沸かせた「ナリタブライアン」だ。

ナリタブライアンは、前年のBNWの図式とは全く逆で、1頭だけがずば抜けた存在だった。同世代にライバルは皆無で20年に一頭の逸材。三冠間違いなしと言われ(実際に楽勝で達成)ナリタブライアンは、既に年上の古馬勢に標準を合わせていた。

一方、ビワハヤヒデの方も同世代より上に敵はなく、自然と後輩達に目が向く。

奇しくも、同世代のライバルが見当たらなくなった兄弟同士が、ガチンコ対決する流れになったのだった。受けて立つ側となった兄貴ビワハヤヒデの管理調教師はこうコメントを出した。

「弟があんな強い勝ち方(皐月賞)をするんだから兄の面目にかけても負けられない。年度代表馬の座を賭けることになるだろう」

相手を恐れつつも自信満々のこのコメント。私は、先にビワハヤヒデのファンだったせいもあるが、あまりにも一頭だけで強すぎるナリタブライアンのことは嫌いだった。

直接対決は年末の有馬記念とまだ先の話だったが、ナリタブライアンが楽々ダービーを獲ったことで更に現実味が増し、三冠馬になるであろうナリタブライアンが古馬最強で兄のビワハヤヒデと有馬記念で対決する!という筋書きで競馬界は盛り上がっていった。

私は、ナリタブライアンが期待通り三冠馬になったとしても、ビワハヤヒデの方が強いと信じて疑わなかった。その理由は、競走馬として図抜けたS級の安定感にあった。ナリタブライアンは確かに凄まじい爆発力を持っていたが、菊花賞前の時点の12戦で4回負けており、3着と6着が1回ずつあった。

それに引き換え、ビワハヤヒデはデビュー以来2着を外したことはない。レース振りも先行して4コーナーで抜け出すという面白味は無いが見てて安心の横綱相撲。そして鞍上は日本一の騎手「岡部幸雄」。

「競馬に絶対はない」という格言があるが、ビワハヤヒデに関しては絶対だ!と私は思っていた。

運命の天皇賞(秋)

ナリタブライアンが三冠を達成する一週間前、東京競馬場では「天皇賞(秋)」が行われた。ビワハヤヒデは当然の圧倒的一番人気。

二番人気はかつてのライバルのウイニングチケットだが、まあ2着に入る可能性が高いだろう的な支持であり、ハヤヒデを逆転するかも?という期待は殆ど無い状態。ナリタタイシンに至っては出走すらしていない。

他を見渡しても、せいぜいG2がいい勝負というレベルの面々。もう結果は分かっておりただの通過点。ビワハヤヒデがどんな風に勝つのか?を楽しむ雰囲気だった。私も余裕でテレビ観戦。

ゲートが開き、ビワハヤヒデはいつものように先行4番手で追走。最終コーナーを回って3番手に上がって内に切れ込む。さあここからいつものように…と思って見ていたが、今日は様子が違った。

「さあ直線を向いて先頭はメルシーステージ、ビワハヤヒデは3番手、どこから捕まえるのか?内からサクラチトセオー、そしてネーハイシーザー!セキテイリュウオウ!…あっと、ビワハヤヒデは苦しいぞ!ビワハヤヒデ苦しい!内からネーハイ!ネーハイシーザー!!ネーハイシーザァァァァァー!!ビワハヤヒデは馬群に消えた!!」

…えっ???

ビワハヤヒデは直線の伸びを欠いて5着入選。惨敗ではないが、初めての凡走だった。

私はしばらくテレビ画面から動けなかった。「そんなバカな?」という気持ちだった。最後の直線ではしっかり伸びて1着争いをしていた姿しか見たことがなかったビワハヤヒデが…なぜ?

当然、私の購入した馬券は大外れになったが、そんなことはどうでも良かった。とにかくビワハヤヒデが負けたことが理解できなかった。

しかし、その理由は直ぐに分かった。レース後、トラックを周回するはずのビワハヤヒデから岡部騎手が下馬したのだ。これは故障を意味する。ビワハヤヒデは、強い競走馬ほどなりやすい屈腱炎というケガを発症したのだった。

私は大きなショックで凹んだが、屈腱炎は重症じゃなければ治らないケガではない。2ヶ月後の有馬記念は無理でも、翌年の天皇賞(春)でナリタブライアンを倒してくれれば…と思い直した。

しかし、屈腱炎発症の報道から間もなく、「ビワハヤヒデ引退!」の文字がスポーツ誌に躍った。ハヤヒデの屈腱炎は重症で全治1年という診断だった。引退という苦渋の決断をしたオーナーのコメントが痛々しい。三冠馬の弟ナリタブライアンとの兄弟対決は果たせぬ夢と消えてしまった…。

ビワハヤヒデとナリタブライアンはどっちが強かったのか?

こうして、三冠馬VS連続連対馬という史上最強の兄弟対決が実現することはなかった。当時のホースマンは揃ってナリタブライアンの方が上だと評し、あの武豊もブライアンのスケール感が違うと語った。

しかし、決戦の舞台だった有馬記念の中山競馬場という小回りコースにおいては、競馬の神様と呼ばれた故 大川慶次郎氏は「ビワハヤヒデが勝っていたんじゃないか?」とコメントしている。

この対決ばかりは、2020年の技術を駆使してシミュレート出来ないものかと強く思う。もし、あのナリタブライアンに勝ったという事実があれば、ビワハヤヒデの評価は一気に高まり、正真正銘の名馬として日本競馬史に名を残したはずなのだ。

ビワハヤヒデは2020年の今30歳で、北海道日高で余生を過ごしている。見学不可なのでもう見ることは叶わないが、もう少しだけノンビリと余生を送ってほしい。

 

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