1989年リリースの筋肉少女帯3枚目のアルバム「猫のテブクロ」に収録された1曲。

筋肉少女帯というと、好き嫌いがはっきり分かれるタイプのバンドだと思う。最近は、打首獄門同好会という、フォロワー的なバンドが出ているようで、このジャンルの系譜が健在なことは結構なことだと思う。しかし、この筋肉少女帯というバンド、確かにその全曲を好きだとは言い切れない難しさがある。

大槻ケンジの詩は、メロディーに乗せる歌詞の範疇に留まらない世界を構築しており、私にはその深い詩の世界を理解出来ない部分がある。私は、筋肉少女帯の初期アルバムであるこの「猫のテブクロ」ともう1枚のアルバム「SISTER STRAWBERRY」を所持しているが、じっくりと年数を掛けて理解できる曲が増えてきたといった感じだ。20歳代と40歳代では感性も違うので当然だが、この曲に関しては初視聴時から今でも大好きだ。

かの有名な「天才バカボン」からきている「これでいいのだ」をキーワードにした歌詞は、滑稽とも言える、ある男の人生の一部始終を表現しており、聴けば聴くほどギャクの歌かと思った(思わされていた)リスナーの耳に深く刺さってくる。

無実の罪で13年間服役した男が恋人に再会し、その後の13年を幸せに暮らすが、14年目に彼女は死に、男は人生の無情を感じ途方に暮れる。「テレビの男がいう、西から昇ったお日様が東に沈み、これでいいのだ、そうだ、これでいいのだ、だがしかし…、だがしかし…、これでいいのか?」

深いなあ。人生も半ばを過ぎ、今、うつ病で休職している私(2018.2~2018.6)には、特に響くものがある。深い詩の作品は他にも「SISTER STRAWBERRY」収録の「夜歩く」など多数、他には、シンプルなサビがひと際物悲しさを誘う「小さな恋のメロディ」は、筋少のイメージが変わること請け合い。他にも、「日本の米」や「釈迦」などは得体のしれないパワーが漲っている骨太な曲である。

最後に、バンドとしての音は正統派のパンクロック中心だが枠に捕らわれず多彩で、うねるようなギターを堪能したい方、大槻ケンジの奥深い世界に浸りたい方、そして見た目と先入観で食わず嫌いをしている方には特にお勧め!

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