世紀末CDバブルの仇花

1993年リリース、WANDSの6枚目のシングル。

WANDSは、当時、女優として第二期黄金期にあった中山美穂とのコラボ作品で4枚目のシングル「世界中の誰よりきっと」が大当たり、3枚目のシングル「もっと強く抱きしめたなら」がそれにつられてミリオンセラーを達成。続く「時の扉」に「恋せよ乙女」と、あれよあれよという間に大ブレイクを果たし、一躍トップアーティストの仲間入りをしたバンドである。

この1993年は、シングル410万枚、アルバム320万枚、と売れに売れまくり、その年の日本ゴールドディスク大賞も受賞した。しかし、そのわずか2年後にはメンバーの音楽的志向から、それまでのポップス路線から大きく転換、結果として売り上げを落とし、ボーカルとギターはWANDSを離脱、その後は新しいボーカルを迎えて第三期WANDSとして活動したが、往時の輝きを取り戻すことは出来ず、2000年3月に解散した。

ロックバンドの成り立ちは…

ロックバンドやロックユニットの場合、メジャーシーンに上り詰めるまでのアプローチとして、大きく2種類ある。ひとつは、地元中心に下積みを続け、ロックフェスなどの入賞などでその才能を見出されてデビューする方法、もうひとつは、プロデューサーや所属事務所が主導したオーディションによる選考や、業界内での紹介などで引き合わされて結成される方法である。

前者は、BOOWY、BUCK-TICK、黒夢、GLAY、Mr.Children、アルフィー、安全地帯、サザンオールスターズなど多数、一般的に知られていないところでは、デビューしてしばらくはアイドルとして扱われたチェッカーズやC-C-Bもこちら側である。

後者はというと、B'z、ZARD、DEEN、そして今回取り上げたWANDSなどがある。新しめのところでは、西川貴教ことT.M.Revolutionはどちらかというとこちら寄りか。ともかく、WANDSは、ビーイングという音楽会社が全面的に主導して作ったプロジェクトチームなのである(ちなみに、B'z、ZARD、DEENは全てビーイング所属である)。

仏作って魂入れず

初めてWANDSを聴いたとき、ちょっとB'zっぽいな、というのが第一印象だった。更に、B'zに比べ、ずっとキャッチ―で耳障りが大変よろしい楽曲たち…。ちょっとマニアックになってきたB'zの隙間を埋めるその戦略は、歌謡デジタルロックとして馬鹿当たりした。

しかし、3人組であるWANDSのボーカルとギターは、本心では全く別の音楽的志向を持っていた。いわば、社命に従って”歌謡曲をやらされていた”のである。どんな仕事でもそうだが、意に添わぬことは長くは続けられない。人間はそんなに器用には作られていない。私がいうのも何だが、それこそ”うつ病”になってしまうだろう。

WANDSの曲は本当に聞きやすく、うがった見方さえしなければ完璧な「J-POP」と言える。私もその聴きやすさに惹かれ、シングル2枚とアルバム2枚を購入している。しかし、というか、やはり、心に訴えかけられる熱量に欠け、今聴くと、大ヒットした曲としてのオーラは備えていない。ビーイングには申し訳ないが「売れただけの曲」である。

この「恋せよ乙女」は、彼らの楽曲の中では、一番、洒落た雰囲気があり、WANDS黄金期の頂点であり、彼らが葛藤の中でJ-POPを演じきった曲のように、私には聴こえる。

ボーカルとギターが脱退したWANDSは、歌声がそっくりのボーカルを連れてきて延命を図るという悪あがきに出たが、全く目が出ずに解散となったのは当然というべきだろう。これは、あまりにも我々リスナーを馬鹿にしている。

再結成があり得ないバンドとは、こういうバンドのことを言うのではないだろうか。私は、自宅のCDケースにしまってある彼らのCDを眺めているうちに、何だか悲しくなってしまった。

 

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