
上司Aとの面談は続く…
発症に至るまでの経緯は、これまでにも聞かれた時に何回か話したことがあったが、上司Aがここまで聞く姿勢を取ってくれたのは初めてだった。詳しく話せば相当長くなってしまうのでポイントを絞ったが、上手く伝わっただろうか?
私の場合に限らず、うつ病が発症するまでの経緯は重層的なはずである。分かりやすい理由、あるひとつの出来事だけで発症することは”まれ”だろう。そして、長い時間をかけて少しずつ進行し、ある時点から「通常のうつ気分」から「うつ病」に移行する。
私の話をじっと聞いていた上司Aは、うんうんとうなづきながら、じっと聞いていた。
上司A「…それで、回復してきたなと感じたのはいつ頃からだ?」
私「2月から休職に入って…、母の病気のこともあって3月まではダメで、4月くらいから回復を実感するようになりました。それまでは、家に居ても強張った表情をして、話しかけても反応薄い、という状態だったようです。今はかなり良くなりました。」
上司A「そうか。今までは休日も休んだ気になってなかったんじゃないか?」
私「ええ、まあ、そうですね。」
これは、時として私のことを病人として扱わず、管理職の意識云々で説教していたアンタのせいもあるんだが、と思ったが、口には出さないでおいた。
上司A「まあ、7月から復帰するとした場合、あと 1ヵ月休みがあるんだ。こんな期間はもうないだろうから、特に土日はしっかり楽しむようにな。」
私「ええ、だいたい毎日ウォーキングやってますし、先月からギター教室に通い始めました。」
上司A「おお、そりゃいいね。」
実際にはブログ開始も大きいのだが、内容が内容なので会社の者には黙っていることした。
会社にとって”人”とは
私「まあ、何するにもお金がかかるので妻には申し訳なかったんですけど、二つ返事で応援してくれたんで。や、でも収入がないってのは大変です。傷病手当金は思ったり早く振り込みになって助かりましたが…。」
ここで、ひとつ確認したいことと、言っておきたいことを言うことにした。
私「…あの、夏の賞与って、少しは出ますか?」
上司A「休職期間は算定から外れるが、12月~1月は出勤しているんだから、3分の1は出るんじゃないか?管理職の査定はこれからだから分からないが…。」
私「そうですか…、しかし、私は病気になって休職して、家計のやり繰りに苦労しているっていうのに、役員Aは何のペナルティもないってのは、正直面白くないですよ。私からしたら、あの人は加害者なんですよ、それが今度は専務になるなんて…。」
上司A「ん…、〇〇、それは考えない方がいいな。考えても仕方がないよ。会社ってそんなもんだ。」
そうなのだ。会社にとって一番大事なのは「人」などと言ってみたところで、それは「事業を立ち上げたり会社に利益をもたらす人」であって、全ての「人」を指しているのではない。
実際には色んな「人」がいて組織は成り立っている。目立つ人だけでは集団は維持出来ないのだが、経営層も上に行けば行くほど、そんなことは忘れてしまう。それが人間の限界でもある。
そんなことは先刻承知のはずだったが、一従業員、一管理職など使い捨てに過ぎないことを、私はこの病気で身を持って知ったのだった。