うつ病物語 その21「パワハラのエスカレート」

月に一度の心療内科と自己判断

月一度の診察では、気分の落ち込みが酷かった時に比べて、かなり良くなっていると説明していたが、医師からは、本人の感覚と実際の病状には2~3ヵ月のズレがあるのが普通で、焦りすぎだと忠告を受けていた。

しかし、当時の自分は、別に焦ってはいなかったが、病気を軽んじてみていた。…と言うよりは、もう諦めていたのかもしれない。何の病気でもそうだが、禁物である自己判断をしていた。

これまでの数回に渡る通院で、心療内科は患者の話を聞いて薬を出すところ、患者は薬を飲んで休養を取ること、しかし劇的な効果を実感できる薬は存在しないこと、…結局これが現実なのだと、私は、うつ病の治療について見限ったような感覚を持ち始めていた。

それなら早く治ったということにして、結構な費用が掛かる通院と投薬をやめ、仕事は結局忍耐でいくしかないのだ、という思考回路だ。

会社人の”うつ病”の原因は職場にあることが殆どだと思うが、その職場の問題について医師が手を下せるわけではない。そして、いくら休養を取れと医師に言われたって、会社人は、せいぜい休日にゆっくりするしかない(休職という考えは当時全く無かった)。

エスカレートするパワハラ

役員Aの振る舞いは、私に対して特に当たりが強く、日に日に勢いを増す感じで、私は地面に伏せて嵐が過ぎるのを待つような毎日だった。今更ながら、役員Aがかつて別の営業所で所長だった時に、部下についた者が2年と持たずに6人も7人も辞めていった事実が思い出されるが、どうしようもないことだった。

この頃、年に数回ある職場の飲み会(中途入社者の歓迎会)があったが、酒が入った役員Aは早々に独演会を始め、三次会では正面に私を座らせて2時間ずっと説教する出来事があった。

店のホステスが私を気遣うほど、そこは異質な空間になっており、私にとっては、一刻も早く終わってくれることを思うだけの時間だったが、役員Aが、私に助言や参考になることも言ってくれていることを無理矢理思い出し、「これも指導の一環なのだ、相手も酔っぱらっているのだ。」と、とにかくじっと耐えた。

後日、そのことを同期入社で仲の良いD工場長に愚痴り、「お前、大丈夫か?」と気遣われたが、私は既に病んでおり、「…いや、まあね。」と、まるで中身のない返しをするのが精一杯だった。

 

〇月〇日

6回目の診察。強い落ち込みはなく特に変化はないと話す。あまり良い調子とも思えないが、こんなものか。朝の憂鬱な気持ちは慢性的になっている。仕事について集中力がないのが気がかり。このままいけば次回の診察で最後になる予定。

 

私の日常は、憂鬱であることが普通になってしまったことで、以前の自分がどんな性格だったとか、どう行動したいのかとか、本来はどうすべきなのかとか、色々なことが全く分からなくなっていた。

 

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