うつ病物語 その125「職場復帰して一ヶ月経過」

着実に回復している実感

職場復帰してからの一ヶ月が瞬く間に過ぎた。結果から言うと、全く”うつ”の症状は出なかった。真っ直ぐ出勤出来なくなることもなく、朝の挨拶も普通にでき、仕事中に自殺を妄想することもなく、家に帰ってからは穏やかな気持ちで、夫であるとともに父になることが出来ていた。

いや勿論、病み上がりであり、引き続き家族に支えられている夫と父だったのだが、そう勘違いしてしまうくらい心身の調子が戻ってきていた。

経済的な苦労は当面続くが、一家の大黒柱がうつ病という、出口の見えてこないモヤの掛かった状態からは脱することが出来たのだ。

そう思うと、支えてくれた妻や家族のこと、並走者のように感じた友人達、色々言いたいことはあるが会社の対応、拾ってくれたC工場長…。

その全てに対して素直に感謝の気持ちが湧いてくる。色々な方達のお陰で、私は、うつ病を乗り越えて新しいスタートに着くことが出来た。

一ヶ月の節目

工場の仕事を終え、事務所に上がって席に座ると、机の上に給与袋が置いてあった。勿論、現金が入っている訳ではなく明細だけだが、久し振り、5ヶ月振りに仕事をした対価として得た収入の証だったので、ちょっと感慨深いものがあった。

うつ病で休職している期間は、当たり前のように思っていた”給料日に給料を貰う”ということが当たり前ではなくなる。

私は会社に入社して28年間、毎月貰っていたので、かなり麻痺していた。私だけではなく、世の中の多くのサラリーマンは、給料なんて貰って当然みたいな感覚になっていると思うが、実はそうではない。

仕事をしているから給料があるのであって、たとえそれが職場が原因で発症した”うつ病”で休職したのだとしても、休んでいれば給料はゼロだ。最初は有休があるからいいが、”うつ病”の休職は期間が長くなるのが普通である。

5ヶ月もの長い間を有休で賄えるはずもなく、傷病手当金などである程度は補うとしても、何かを切り詰めたり、貯金を取り崩したりしなければ、それまでの生活は維持出来ない。

給料が入らない状態というのは、私自身もそうだが、特に家計を担う妻には厳しい現実だった。それが解消されたことは、大きな前進である。

私は、帰宅して直ぐに、新しい異動先に所属が変わっている給与明細書を妻に手渡した。

妻「おお!…何だか久し振りだね。」

私「ホントにね。」

妻「仕事をした対価だから、喜びもひとしおなんじゃないの?」

私「うん、…まあ、そうだな。傷病手当金とは違って、何か気分はいいよね。」

この日は、発泡酒ではなく、正真正銘のビールで乾杯をした。

 

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