「イモ金トリオ」って知ってる?

1981年リリース。フジテレビのバラエティ番組「金ドン!良い子悪い子普通の子」で人気を集めたイモ金トリオのデビューシングル。

ジャニーズの田原俊彦、近藤真彦、野村義男の3人で結成され、一世を風靡した「たのきんトリオ」を捩った、テレビ派生型のユニットであり、その後、ウッチャンナンチャンの「ポケットビスケッツ」や、とんねるずの「野猿」など、定期的に大当たりするバラエティ出身の歌唱ユニットの先駆けとなった。

私は、なぜか「萩本欽一」のことが、まだ幼かった当時から近年まで嫌いで(今は特に嫌いとまでではなくなった)、いわゆる「欽ちゃん」番組は全部スルーしていた。しかし、昭和50年当時は、テレビなど一家に一台しかない時代。小学生の私にチャンネル権(今や死語)などなく、テレビを見るなら両親の好みに付き合うしかなかった。

弟と盤ゲーム(人生ゲームに代表される”アレンジ双六”タイプのボードゲーム)をしながら適当にテレビを眺めていたそんな時、番組中で披露された「ハイスクールララバイ」は、そのコミカルなビジュアルとテクノ全開のサウンドで、10歳だった私に強烈なインパクトを残した。

天才、細野晴臣!

この曲のイントロは、「ハイスクールララバイ」の前年である1980年にリリースされたYMOの代表曲「RYDEEN」からのセルフパロディであり、最初から遊び心は満載。歌唱中のイモ金トリオ3名のアクションも楽しく、新時代の音楽である”テクノサウンド”を一般人に知らしめたという意味で、非常に意義のある1曲でる。

YMOというと、”教授”と称される「坂本龍一」が何かとクローズアップされることが多いが、実際には、細野晴臣が中心となって結成されたユニットだった。

細野晴臣は、私が個人的に好きな、中森明菜の「禁句」を作曲したのを始め、まだまだピコピコ音のレベルだったゲームミュージックを日本で初めて”音楽”として捉え、1983年に大ヒットしたナムコのシューティングゲーム「ゼビウス」の音源をダンスミュージックにアレンジした「ビデオ・ゲームミュージック」を1984年にアルバムとしてリリースするなど、時代を10年以上先取りする感性にはほとほと恐れ入る。

その後、2000年代に入ってようやく、ゲームミュージックは”音楽”として一定のポジションを確立するが、まだ”ゲーセン”がうさん臭さ全開だった時に、そのゲーム筐体から流れる曲を”音楽”として扱ったことは並みの先見性を超越しており、こんな人のことを、”天才”と言わないで何と言ったらいいのか…。本当に凄いなと思う。

 

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