思い出の曲 77曲目 相川七瀬「BREAK OUT!」

思い出の曲

マイルドヤンキー?なロッカー女子「相川七瀬」

当時としても誰かのプロデュース感は拭えなかった「ちょっとツッパッた系ロッカー女子」のキャラで登場した相川七瀬。

プロデューサーの織田哲郎に見出されて1995年に「夢見る少女じゃいられない」でデビュー。歌声がシャウト気味だったこと、またキツめだが、ビジュアル映えのする美人だったことも後押ししてヒット曲は多数。アルバムの売上枚数もミリオンクラスで、当時かなり人気を集めた女性シンガーだ。

声質には特徴があり、聴けば直ぐに「相川七瀬」だと分かるレベル。それに声量もあるし上手い方の女性ボーカリストだと思うけど、なんというか改めて今聴くと、「ああ、あのCDバカ売れの頃に流行ったよねこんな人も」の域を出ないのが残念なところ。

レベッカのNOKKOとか宇多田ヒカルみたいに、リスナーが過去に刺激された感性や突き刺さった記憶を呼び覚ますようなトリガーの引っかかりは感じない。世紀末だったあの頃の時代感が喚起されるだけだ。

確かにパンチの効いたロック声…なんだけど、何というか相川七瀬のボーカルと楽曲は浅いというかサラッとしている。本当の(この表現は語弊がある)ロック好きは相川七瀬をわざわざ聴かないと思うし、かと言って同世代の女性受けがいいとも思えない。当時、男性ファンの方が多かったはずだ。

あの頃の勢いが去って20年以上が経った今、「相川七瀬」というシンガーをどう捉えてどう評価すべきなのか?

私の個人的な印象としてはやや否定的で「あの当時は勢いがあった(だけ)の人」というイメージで固まっているが、それはどうしてなんだろうか?

イメージに反して、相川七瀬は従順だった…のではないか?

既に「ZARD」や「DEEN」のプロデュース成功で大活躍していた織田哲郎によって売り出されるからには、相川七瀬として仮に意に沿わない部分があったとしても、それは我慢して従わなくてはならなかったと思う。でも、当時の彼女からは、現状への不満みたいなオーラは漂っていなかった。

相川七瀬は、自己主張が強く骨っぽさがあるイメージで売り出されていたが、実は思いの他柔軟で自分の音楽的志向には強く拘らないとか、気持ちよくロックをやれるだけで満足していたとか、シンガーとしての心境には幅があったのかもしれない。

従順…でもそれは、本来の『ロッカー』のスピリッツには相反するものではないだろうか。プロデュースを忠実に再現することだけで、自らの内面から迸るものが仮に無かったのだとしたら、リスナーに伝わるものは非常に薄っぺらいものになる。

彼女の残した楽曲は、とても聴きやすくてカッコいい歌謡ロックであり、大ヒット曲も多数あるが、私には『歌い手が相川七瀬じゃなくても良かったんじゃないかな?』という物足りなさが残る。

歌謡ロックという点ではアン・ルイス的でもあり、人気のピークを過ぎた後期にはアン・ルイスの代表曲の「六本木心中」をカバーしたりもしたが、あちらは「アン・ルイス」じゃなきゃ!という力感に溢れており、同じ歌謡ロックを歌う女性シンガーでも巻き込み感が違う。

でも、これは相川七瀬のせいではなく、プロデュースした織田哲郎の罪だ。織田氏は一本調子に似たような曲を相川七瀬に歌わせ過ぎた。相川七瀬は文句を言わずに頑張ったと思う。

「え~またこんな曲出すんかい。まーソコソコ売れるんだろうけどね…。」

そんな風に思われた瞬間から「相川七瀬」というシンガーの寿命のカウントダウンは始まっている。

こんな風に思うんですよ一般人でも。音楽業界の黒幕さん達、分かってます???

 

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