長らく安全地帯の最新作だったアルバム「太陽」

1991年リリース、安全地帯8枚目のオリジナルアルバム「太陽」の6曲目。

安全地帯は、やはり「玉置浩二」のバンドである。玉置の同級生で、バンド結成の切っ掛けになった武沢が如何に類まれな繊細なギターを奏でても、またベースやドラムといったリズム隊が如何に渋く玄人好みのサウンドを刻んでも、玉置浩二のメロディメーカーとしてのセンスや、日本人ボーカリストならではの職人性、また鋭さと温もりを合わせ持った歌声の前には、脇役に霞んでしまっていた。

安全地帯は、そういう意味で、玉置浩二が居なければ絶対に成立しない、言わば独りよがりのバンドだと思う。

勿論、そうしたバンドは数多い。一人の天才的なカリスマが、力のあるメンバーを従えて…という図式だ。成功するグループのひとつのパターンとして、そんなものだとも思うし、事実、ボーカルが作曲者でリーダーで…、というバンドは全く珍しくないが、安全地帯は、その度合いが殊更強いのが特徴だ。

そして、バンドメンバー全員が、”玉置浩二”に心酔しているというか、もうかなり昔から、仕方なしにというか何というか、既に諸手を挙げて降参しているのではないかと思う。

それだけ、安全地帯が80年代から現代までに世に繰り出してきた音楽には、玉置浩二の精神状態とか、その時の彼の状況が色濃くリンクしているのだ。

よく言えば?「芸術家肌」の玉置浩二

玉置浩二は、芸能ニュースを賑わすゴシップ性がかなりあるタイプのミュージシャンだが、反面、その突き抜けた実力はプロ達が認め、同時に尊敬の念を集めてもいる人だ。

それだけに、彼のサウンド面を支えた安全地帯のメンバ―は、音楽の”変人”ともいえる玉置浩二を納得させるだけの実力があったという見方は間違いないと思う。

私は、ただの安全地帯のファンなので本当のところは分からないが、安全地帯のブレイク当時からずっと彼らの音楽追いかけて、30年以上に渡ってずっと聴き続けてきた者として、それなりのことを感じてきた自負はある。

この「SEK’K’EN=GO」を代表として、アルバム「太陽」には、玉置浩二や安全地帯が、1991年当時に受けていた様々なストレスや憤りが、渾身の10曲に濃縮して収録されている。

特に「SEK’K’EN=GO」には、これまでの安全地帯らしさの魅力エッセンスが散りばめられてはいるが、スパッとした切れ味は、この曲ならではのもので、ファンに驚きを与えた1曲だ。

このアルバムにおける玉置の歌唱は彼のキャリア中でも最高の状態、またサウンドは澄みつつも重厚さを併せ持つ「安全地帯」の集大成というべきもので、他のアルバムとは一線を画する。1980年代後半のブレイク時の作品「安全地帯Ⅳ」や、2002年の再結成後も、聴かせる魅力に溢れる彼らではあるが、このアルバム「太陽」の研ぎ澄まされた感じは随一のものだ。

安全地帯は、その後も紆余曲折ありながらも、ベテランとして末永くまったり活躍することになるが、私は、頂点(セールス面ではなく、あくまでバンドのキャリアとして)だったと言えるこのアルバム「太陽」を最後として、スッパリと解散していても良かったのではないかと思っている。

 

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