おニャン子晩年の超大物
1989年リリース、工藤静香の7枚目のシングル。
あまり知られていないが、工藤静香はおニャン子の前に、1985年にセブンティーンクラブなるグループでレコードデビューしており、既に所属事務所を持つアイドルであった。
1986年に高校進学後、「夕やけニャンニャン」のオーディションコーナー「ザ・スカウト アイドルを探せ!」で合格し、会員番号38番として活動、徐々に知名度がアップしていく。
1987年には、「うしろ髪ひかれ隊」という、どう見ても「うしろ指さされ組」の二番煎じとしか思えない冗談みたいなグループ名でデビュー。しかし、存在感は傑出していて、既にピークを過ぎていたおニャン子の中で一人気を吐く存在になっていく。
そして、「夕やけニャンニャン」最終回放送日に発売された「禁断のテレパシー」でソロデビュー。オリコン1位となり、その後も「MUGO・ん…色っぽい」「恋一夜」とビックヒットを連発、あれよあれよという間に、先輩のおニャン子どころか、トップグループのアイドル勢を軒並みごぼう抜きしてアイドル界のトップに立つという離れ業を披露する。この「嵐の素顔」は、その人気が頂点に達した時の曲である。
滅茶苦茶バブリーだが、それがいい
当時から特徴的だった「振り」と「衣装」だが、今見ると、恥ずかしいくらいにバブル全開で流石に苦笑してしまう。しかし、ここまで振り切っていると逆に気持ちよく、時代を象徴したワンシーンとして、時としてギャグにもなってしまうパワーを持っている。
私は、例によって工藤静香のファンでは無かったが、「MUGO・ん…色っぽい」「恋一夜」「嵐の素顔」「黄砂に吹かれて」と、好きな作曲・編曲家である後藤次利が次々と繰り出す、この強力なシングル群は無視できず、リリースの度にチェックを入れていた。
これらは、当時の人気や勢いに任せて売れたのではなく、今聴いても色あせない名曲揃いで、こんなにずば抜けた曲達に恵まれたアイドルは、中森明菜と双璧だろうと思う。
この記事を書くにあたり、あらためて工藤静香の黄金期の曲達を通して聴いてみたが、改めてその凄さにガッツリ浸ってしまった。