うつ病物語 その158「うつ病を克服出来た”職場”とは」

前回の訂正!

前回、うつ病を克服出来た(最近は、もう克服したと思うようになった。)理由として、「プレッシャーや業務量が軽減された職場で一年間を過ごしたからではない。」「身体を動かすことが中心で、精神的に気楽な毎日を過ごしたからではない。」と力説した。

誤解の無いように訂正したいが、これらは、休職明けで復帰した者には必須と言える措置で、順調に回復軌道に乗せるためには相当に効果的だ。そりゃもう、経験者が言うんだから間違いない。

そして、この物語のなかで何度も触れてきたし、本社人事部の友人Aも言っていたが、うつ病を発症した元の職場ではなく、全く新しい環境で再起を図ることが何よりも成功の秘訣。

以上の2つは、特に重要なポイントだ。しかし、”うつ病”は、それだけでは克服出来ないと思う。

うつ病の克服点と、職場の違い

うつ病の克服点、うつ病用語で言うところの”寛解”は、きっと、その人が病気になる前の元の姿に戻ることを差していると思う。私も、最近までそう思っていた。

でも、長いこと休職して復職したからには、病気のせいで失った何かを取り戻したい、いや、出来ることなら、以前の自分以上になって、自分の復帰に力添えしてくれた職場の皆や、支えてくれた家族に還元したい、と思うのではないだろうか?贅沢かもしれないが、私の場合は、そんな気持ちが日に日に高まっていった。

ちょっと話が前後するが、確かに私は、以前の職場、以前の業務内容よりは、はるかに気軽な一年間を過ごした。だがそれは、単に下積み期間を過ごしたということであり、”楽な仕事だった”という意味では無い。

私は、今の新しい職場である生産現場に配属されて仕事に慣れていくうちに強く実感したが、この職場は、仕事の使命も課題も不満も、その大半を主要メンバーで共有していた。勿論、C工場長は相当な重責を担っていたし、主力メンバーもそれぞれの立場で日々苦労していた。何よりこの工場はクソ忙しい。

…と、色々なことがあるにはあるが、それでもこの職場は、一人ではなくチームだった。

以前の私はどうか?確かに上司も部下も居たが、思い返せば返すほど…私は孤独だった。経理をイチから教えていた部下が退職してからというもの、経理も税務もシステムも、まともに相談できる相手は無く、自分一人で考えるしかなかった。

そんな状況下に私が居ることを気にしてもいない役員Aから続々と命じられる業務に方針変更の嵐、上司Aからは「お前は総務の課長なんだから。」の一言で振られる仕事に対し、たとえ私がどんな状況であっても、それらを割り振ることの出来る相手はどこにも居なかった。

気を使ってくれていた上司Bは、経理・税務・システム系は全くの素人で、私は、ある程度の水準に達していて一緒にやれるパートナーも、また片腕として期待出来る人も居なかった。

私が気にしなくても安定していた業務は、給与計算や社保関係、勤怠管理といった、中堅の部下にやってもらっている限定的な業務に限られていた。

まあ、上司2人は最初から期待していなかったが、課長代理や係長クラスの部下が居ないのが様々な場面で本当にキツかった。

経験の浅い若い課員ばかりで、ライン課長である私には、課員の面倒を見る負担だけが圧し掛かったが、私の窮状を知ってか知らずか、上司Aは「いるメンバーでやるしかないんだ。」、役員Aは「下に仕事を降ろせ。」という、まるで実態が見えていない、丸投げに近い答えを繰り返すばかりだった。

 

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