うつ病物語 その119「友人達の存在①」

うつ病物語

うつ病の私を支えた人達

うつ病になって休職していた最中、私をそっと見守り支えてくれたのは、先ず妻、そして同居する義母や子供達、両親や弟であった。私の家族や肉親は、きっと自分のことのように感じてくれていたのだと思う。

この思いに、私は、精一杯甘えさせてもらった。無償の愛情というものは本当に有難かった。

そして、それとは別に、私が、徐々に前向きな考え方になっていくために、知らず知らずのうちに意識をしていた人達がいた。それは友人である。

私は、47歳の今、親友と呼べる者が4人居る。1人目は、このブログにも登場してきた、本社人事部の課長で、友人Aとしておこう。友人Aは、その職権を最大限に使って、側面支援をしてくれた。役員Aに対して、私がうつ病になった原因は分かっていますよね?と詰め寄った人物である。

2人目は、同期入社のD工場長だ。彼は、休職中に私とコンタクトをとることをあえて我慢し、じっと待っていてくれ、そして私の異動先として受け入れに手を挙げてくれた。結局、別部署になったが、復帰の際には本当に嬉しそうにしてくれた。

3人目と4人目は、中学校の時の同級生である。3人目を友人B、4人目を友人Cとしよう。彼らと私を含めた3人は、学校卒業後に就職した会社を辞めずに、もう30年近くずっと勤めている。幸か不幸か分からないが、転職経験ゼロ、という忍耐力の高さ?が共通している。

友人Bは、中学校に入って一番最初に波長が合った相手で、卒業後は、国内に複数の工場を持つ大手製造業に就職した。男気があり律儀、勝負事にも強く、ヘラヘラしたところのない性格である。

友人Cは、友人Bとほぼ時を同じくして仲良くなり、卒業後は、北海道を出て本州の超大手製造業に就職した。優男風で当時はチャラチャラした雰囲気も持っていたが、口が堅く、信頼して間違いのない人物だった。

友人達の存在

彼らとは、互いを高め合うような立派な青春時代を送ったり、悩み事を相談し合うような濃密な関係性でなかったが、金の貸し借りをするようなズブズブの連合体でもなく、非常にスマートだったと思う。3人の性格も随分と異なったが、なぜか3人揃った時には不思議な収まりの良さ、独特な居心地の良さがあった。

年月が経ち、全員家庭を持ち、子育てが中心になっていくなかで、彼らとは年に1度会えればラッキー、くらいの頻度にはなったが、それでも、途切れることなく続いてきたのは、やはり縁があったのだと思う。

私は、学生時代も社会人になってからも、彼らのことをライバルだと思ったことはないし、友人達が頑張っているんだから自分も、というスイッチは入らない性格だったが、あの仲の良かった友人達は友人達で、自分の家庭を守るために仕事を頑張っている、という現実は、深く感じるものがあった。いわば並走者がいる感覚、それは、少しずつだが確実に、私の背中を押してくれた。

友人達に病気のことを伝えた後、根掘り葉掘り聞くようなこともなく、さりげなく気遣ってくれる彼らのスタンスにも、私は助けられた。

 

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