うつ病物語 その120「友人達の存在②」

うつ病物語

友人達の存在②

友人B、友人Cとは、たまにLINEで遊ぶが、いくら歳を取っても、ノリが直ぐに30年前の少年時代に戻るから不思議である。とても40歳代後半とは思えない、アホみたいなLINEになるので詳細は控えるが、人間は歳を取ってもそうそう変わらないんだなということを実感する一時でもある。

遠方に住んでいる友人Cからは、時折ブログの感想なども届いてきて、それは嬉しいものなのだが、ある時、こちらから電話をしてみた。

私「いや、ゴメン、なんか電話したくなってしまった。」

友人C「いやいや、全然いいっすよ~。」

友人Cは元々道産子なのだが、もうすっかり居住地である西のイントネーションになっている。初めて彼の西のイントネーションを聞いたときには、少し寂しい気持ちになったものだが、今では全く違和感が無い。

私「まあ、職場復帰初日は滅茶苦茶緊張したんだけど、終わってみれば何てことはなかったよ。」

友人C「や、でも、”会社っていいいところだろう”は無いよね。俺、ビックリしたよ。なんかダメなんじゃない?その人。」

と、笑いながら話す友人C。やはり、役員Aの第一声は、第三者が聞いても「はァ?」という一言だったのだ。私は、自分だけが被害者感覚でそう思っているのではないか?という思いが拭いきれなかったので、友人Cにそう言ってもらって安堵した。

会社人って何なんだ???

その後、楽しい会話と真面目な会話が交互に続いた。そして、友人Cは、どこかのタイミングで、自らを言い聞かせるように、こう言った。

「会社なんてさ、生きていくための手段だよ。」

…この言葉は、多くのサラリーマンが辿り着く、ひとつの真実だと思う。私が休職している間も、友人Bも含め、彼らは企業人としての責任を背負って頑張っていたのだ。四十代後半のサラリーマンで、楽してる人なんている訳がないのだ。

問題は、その苦労の質である。苦労に見合う対価があるのなら、それは帳尻が合う。ここで言う対価とは、”お金”に限定しない。もっと別の、精神的な報酬のことも含めた対価が伴わなければ、人間はどこかがゆっくりと壊れていくと思う。

しかし、世の中の大多数のサラリーマンは、その完璧に構築された組織社会の中で、”物言わぬ歯車”、または”物を言い続けなくてはならないモーター”のいずれかの役割を担い続けなくてはならないのだ。

そこには、対価として最も大きな自己実現のステージなど、そうそうあるものではない。私は、30年近くサラリーマンをやってきたが、未だにこの問に明確な答えを出すことが出来ないでいる。

果たして、退職する頃には、答えが出ているのであろうか…?

 

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