うつ病物語 その161「かつての部下達への後悔」

うつ病物語

かつての部下達への後悔

うつ病を発症した総務部とは全く異質の工場に異動したことにより、最大の発症原因であった役員Aとの接触は大幅に減り、復職後の半年以上はゼロ。あくまで自己感覚だが寛解(完治)と思えるようになった後でも、役員Aとはせいぜい月に1度、顔を合わせたり挨拶を交わす程度になって1年が経過した。

以前よりはるかに役員Aと接する機会が減少したので直接は分からないのだが、そこは、私が役員Aの管掌している部署の元課長であり、元部下達も沢山いるので、最新情報は放っておいても私の耳に入って来る。

色々なことが起きるので何とも言えないところが多いが、総じて、役員Aのみならず、上司Aや上司Bの立ち振る舞いや指示伝達、配慮や能力面も含めて、あくまで部下達側からの感覚としてになるが、職場の状態は芳しくないようだった。

こういう言い方をすると、まるで私がさも優秀だったかのようになってしまうが、全くそういうことではない。特に私は、うつ病の治療でクリニックに通うようになる頃には、自覚するくらいに能力ダウンが甚だしく、元々大したことがないのに、もう自分のことで精一杯で部下に気を使うことが出来ず、結果的に、将来や能力のある部下達を退職させてしまったという後悔の念を強く持っている。

自分があの時こういう対処が出来ていたら…、いや、先手を打ってアノ人との間をこう取り持っておくことが出来ていれば…。

途中退職する人は、いずれは退職するのであり、上司や先輩が何をしようとも結局は延命策に過ぎない、という考え方を否定しないし、どちらかというと私はそう考えるタイプだが、それでも、上役だった者としては後悔が捨て切れない。

もちろん、退職を選択したその人の今後の人生を心配して色々なことを思う…のだが、一方、仮にも会社組織の管理職としては、退職する人をここまで育成したエネルギー(=投資)のリターンがゼロになってしまったことを惜しむ気持ちも同時に起きる。

中途退職する人の、現状の代わりは、まあ何とかなる。キツイ時期を過ごすことにはなるが、急場を凌ぐことぐらいはギリギリ何とかなるものだ。そうではなく、退職者が出ることの本当のダメージは、彼ら彼女らが、将来成しえたかもしれない業績や発見、開拓や改善が永遠に失われたことだ。

私は、会社の経営層と人事面談があった際にこのことを力説したのだが、経営者からの反応は、思いのほかあっさりしたものだった。

社員のことを、単なる消耗品と考える「人材」なのか、それとも企業力の源泉である「人財」と捉えるのかは、巷ではよく言われることである。

古くからの日本的経営は、例え扱いが荒っぽく「〇〇ハラスメント」まがいの世界だったとしても、正社員に対しては、本質は「人財」という思想だったと私は思っている。

…が、現代のグローバル経済、株主還元重視の経営の下では、「人材」は「労務コスト」でしかなく、収益性を高めることが困難な状況だからコスト削減(=リストラ)という、目先の利益を捻出することを何よりも優先する企業論理が、この北海道の片田舎にまで浸透していることを実感せずにはいられなかった。

こんな環境下では、”うつ病”はこれからも増加し続けるだろう。そして何より、そんな経営方針の元では社員は育たず、本業の前に、労務問題でパンクして崩壊する道を辿る。だが、現場から離れて久しい経営者にはそれが分からない。私は、どうやってそれを経営者に気付かせることが出来るだろうか…?

コイツ馬鹿だと思われることは承知で言うが、それが私の切実な悩みであり、そして目標だ。

会社組織のサラリーマン管理職でも、そんな夢を持っていいじゃないか…?

そんな風に考えることが出来るようになった私は、もう”うつ病”ではない、と思う。

 

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