うつ病物語 その111「うつ病持ちを迎え入れる側」

それでも懐かしい場所

このC工場は、入社した28年前に、現場研修で2ヶ月間を過ごした場所である。当時に比べると、工場内は大幅な改装を受けており、生産する製品もレイアウトもまるで違い、面影は殆ど残っていない。

しかしそれでも、今回の恩人であるC工場長を始め、主要メンバーの何名かが残っていたり、定年後再雇用の方達がチラホラいたりするせいで、工場の風土というか、そういう空気感というものは、どこか懐かしさを感じさせた。

私は、殆ど新入社員の感覚で入ってきたのだが、実際に中に入ってみると、案外とそうした気持ちより、懐かしさの方が勝った。

人の縁はどこで繋がるか分からない

一通りの案内が終わり、早速、C工場長に次ぐポジションになる、F工場長代理に挨拶をする。

私「本日からお世話になります。どうぞ宜しくお願い致します。」

F代理「あ、こちらこそ宜しくお願い致します。」

このF工場長代理は、元々は遠方にある本社直営工場の社員だったが、採算悪化により工場閉鎖となり、同じ地に工場を構えていた当社に移籍してきた人物である。

しかし、その当社工場も、環境悪化によりその地から撤退することになり、F工場長代理は家族を残して単身で私が勤務する本社に転勤してきたのだ。撤退の話が出た当時、私は労働組合の当社支部長を務めていたため、工場閉鎖課題について会社側と協議交渉する立場にあった。

マイカーに組合本部の中央執行委員を乗せて、4時間近くかかる遠方に何度か通い、支部長として従業員達と話し込んで要望をまとめたり、会社説明の補足をしたりしたのだが、その時の従業員の一人がF工場長代理として、今、私に仕事を教える側になっている。

F工場長代理から見ると、私は”ど素人+肩書は課長なので上役+しかし年下”であり、そんな鬱陶しい相手の面倒を見なければならない気苦労は想像に難くない。

支部長時代の私は、もう15年ほど昔の話なので、今から考えれば足りないところも多いが、当時の能力なりに全力で事に当たっていた。大体、今回お世話になるC工場長から引き継いで私は支部長になったものの、平和主義の私の意向に反して、なぜか各種課題が頻発する運の悪さで、近年では最も苦労した支部長となり、かつ長期に渡って務めるはめになってしまった。

苦労したおかげで、当時の中央執行委員から最後は委員長にまでなり、現在は本社人事部の課長として全グループに人脈を持つ友人も出来たので、悪いことばっかりでもなかったが…。

しかしながら、F工場長代理とは、全く想像をしない形で、またこうして密接に関わることになった。私は、支部長だったあの時、自分なりに一生懸命やっておいて良かったと、心から思うのだった。

 

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