うつ病物語 その177「うつ病からの回復⇒寛解は『自己肯定感』と『自信』が増すこと」

うつ病からの回復…ついに最高到達点か!

私は、2018年の2月初旬から6月末までの5ヶ月間、2回目の休職してから復職して現在に至る…なので、この記事を書いている2020年6月から振り返ると、もう2年前の出来事。

うつ病物語 その175「家族との寛解エピソードで減薬に!」で記した通り、復職後、半年後、1年後、1年半後、と回復度を少しずつ更新していく2年間だった。

うつ病の進行と回復は、海溝みたいな曲線ではないかと思う。

最初は自分も周囲も気付かないほど、少しずつ緩やかに下がり、ある地点からはぐ~っと下がって底知れず、病名を告げられても自分がうつ病だとは認められない時期を長く過ごし、ようやっと自覚してから這い上がる段階に入るが、それはぐ~っと下がった時以上の長い時間と苦労があり、そこを乗り越えてある程度上がった後、じわーっと緩やかに回復を続ける…。

2020年5月に3ヶ月毎の診察を受けたが、流石にもうここまでくると、医師に話すような特別なことは全くなかった。報告ゼロは初めてのことだった。

そして、診察の帰り道、病院に行くタイミングでこれまでを振り返る度に感じていた「『前回が回復100%だと思ったけど今の方がちょっとだけ上かな?』という回復度更新」が、ついに終わったことを実感した。

復職後2年を経て、やっと頂上というか、最高到達点に達したのだと思う。これを「寛解」と言わずに何と言おう。

ただ、これが、うつ病になる前の、本来の自分の姿なのかと言われると、それはやっぱり違う。妻は勿論、この「うつ病物語」で登場した友人達もそう感じると思う。

うつ病になる手前から闘病時代を過ぎてここまで、足掛け5年くらいになるので、年齢を重ねたことによる変化もあるが、この病気を通じて、家族と共に色んな辛い経験をしてきたので、やはり人生観は変わった。

役員面接の席上で…

今年から、部下達の一次評価者に復活(部署は違うが)した私だったが、その管理職は、今度は役員に評価される。年に一度の業務目標に関しての役員面接があった。

一通りの説明を終え、複数の役員から具体的な指示や確認をされたが、私の目標設定は概ね役員の求めるものに合致していたようで、深い突っ込みは無く、正直、拍子抜けだった。

で、うつ病の根源である役員A…。

役員A「いや、話す内容もそうだけど、声に張りがあって、すっかり以前の〇〇に戻ったようで安心したよ。」

私「いえ、そうですか。そう言っていただけると嬉しいです。」

と、笑顔の役員Aに言われては大人な対応をするしかなかったが、『うるせ~このヤロー!テメーの口からそんな台詞を聴きたくねえゾ』というのが正直なところ。

このパワハラ役員Aはともかく、その後に続いた社長の言葉は、私の心に残った。

社長「〇〇さんのことは、もう3年くらい見てきたが、今の貴方は”自己肯定感”に溢れ、確信をもって行動しており、それ故に自信に満ちている。とてもいい状態だと思う。このまま頑張って〇〇工場やスタッフ達、それに工場長を支えていってほしい。」

自己肯定感…。

うつ病で2回も休職し、25年もキャリアを積んできた総務部をクビになり、ド素人の管理職という立場でC工場長に拾われて生産工場に異動になった、この私にそんなものが…。

そんなことをストレートに言われ、私は少し狼狽えた。

 

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