うつ病物語 その143「同期入社、戦友のような存在のD工場長」

うつ病物語

D工場長と私

私がうつ病に至った経緯を一番理解する人物は、同期入社で親友でもあるD工場長かもしれない。

うつ病が徐々に悪化していった私の、家庭にいる時の異常な変化を肌で感じ取っていたのは、やはり妻であったが、うつ病を発症してしまった私が、その原因となった職場で、日々どんな人物と接し、どのようなプレッシャーを掛けられながら仕事をしていたかを詳しく知っているかという点では、D工場長を置いて他に無い。

D工場長とは同期入社で、入社後2年目に私は彼と同じ部署に配属され、そこで1年半ほど一緒に過ごした。その後、彼は別部署に異動することになったが、なぜか一緒に仕事をする機会が多く、当初は、「…直ぐに仕切ってくるのもムカつくし、どうにも暑苦しい奴だ。」と苦手意識を持っていた私が、彼の誰に対しても表裏無く100%で対する姿勢、また、男気のある性格を知るにつけ、尊敬の念とともに、深い友情を感じる存在になった相手だ。

互いに真面目というか堅い所があるタイプなので、彼とは仕事のことで口論するようなことも数多くあったが、プライベートの重たい話(相談ではないことが多い)も含め、かれこれ30年近く、職場を同じくする戦友のような関係が続いてきた。

うつ病になった私がD工場長に対して思ったこと

私は、うつ病で休職することになった時、実は、D工場長がどんな風に思うのかが気になっていた。

何しろ、同じ会社に居る友達である。「オイオイ、あいつ大丈夫かよ。」とか、「なんだ、あいつも意外と弱っちいな~。」とか、色々なことを思うだろうし、上司Aあたりから、私のことについて事情聴取くらいされているかもしれない。

当時の私は、とにかく心身共に休みたい一心だったので、同僚や部下などにどう思われようと構わないという気持ちだったが、”D工場長がどう思うのか?”というのは、唯一気に掛かった点だった。

しかし、気になったとは言っても、たとえD工場長ほどの間柄の友達でも、今の私に対して何も言ってもらいたく無かったし、どんな気遣いであったとしても、私はそれを受け取れる状態に無かった。

だから、彼にも、何の相談もしなかったし、休職することを知らせることもしなかった。

…というか、出来なかった。

私は、同じ会社で同じようなストレスとプレッシャーに晒されているはずなのに、自分だけが負けたのだ、俺は落後者なのだ…、無能なのだ…、という強い自己否認を繰り返していた。

D工場長の行動は…

結論だが、彼は、うつ病で地の底を彷徨っているような私の心境を知ってか知らずか、親友である私に対して、”あえて”連絡することをしなかった。

それは、親しい間柄であればあるほど、難しい判断だったと心から思う。病気で休職した親友に対して、全く何の連絡もしないというのは”冷たい行為”とも言えるからだ。

私が、もし全く逆の立場だったら、多分、メールくらいは送っていたような気がする。しかしそれは、迷惑とは言わないまでも、うつ病真っ最中の者にとっては決して歓迎するものではない。「うつ病患者への接し方 本人はこう思っている!」

…彼は、5ヶ月も休職していた私に対し、1行2行の短いメールさえも送ることはしなかった。とにかく、私の方から動くのを待ったのだ。

そして、復職の前々日に、ようやく送った私の報告メールに、短くも気持ちの入った言葉を返してくれたのだった。

復職を前に緊張感の高まっていた私が、このメールでどれだけ救われたか知れない。

 

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