1992年リリース、槇原敬之3枚目のオリジナルアルバム「君は僕の宝物」の2曲目。

槇原敬之は、1991年の「どんなときも」で大ブレイクしたが、当初は一発屋の雰囲気も漂う垢抜けないシンガーで、私は「どんなときも」で歌われるメッセージというか世界観が好みではなく、かなり毛嫌いしていた。しかし槇原敬之ことマッキーは、続く「冬がはじまるよ」「もう恋なんてしない」が立て続けにヒットし、結構なポジションまで一気に駆け上がっていった。

私はというと、勝手な思い込みが外れて少々悔しかったのだが、「冬がはじまるよ」を聞いた時には、新鮮だったサビのメロディと、「どんなときも」とは違う可愛らしい恋愛模様を歌った情景に触手が動いてしまい、つい最近まで毛嫌いしていたアーティストのアルバムを買ってしまうという行動に出る。

マーケティングでよく出てくる言葉で、プロダクトアウトと、マーケットインというのがある。プロダクトアウトとは、作り手側の方針や作りたいものを顧客に問うもの、マーケットインとは、顧客のニーズを汲み取って商品開発するもの、と反対の意味を持っている。音楽に当てはめると、自分の歌いたい歌を作って世に出すスタイルはプロダクトアウト、リスナーやスポンサーの趣向に沿った作品作りはマーケットインと言えるだろう。私の持論としては、この両方が合致した時に、作り手と受け手の両方が幸せになる本当の名作が生まれると思っている。

そういう意味で、槇原敬之というシンガーソングライターは、全体的にプロダクトアウト寄りだと思っているが、偶然にもそれがリスナーが欲しかった世界観だったのではないだろうか。だからイケメンでもない彼は大ヒットメーカーとして成功したのだと思っている。

さてこの曲、「くもりガラスの夏」は、1分弱ほどのインストルメンタル曲に続いてスカッと始まる、槇原得意のアップテンポ失恋ナンバーであるが、アルバムの実質トップを飾る曲とはいっても、シングルカットされた訳でもなく、ファンしか知らないマイナー曲の部類に属する。

槇原敬之がまだ新人だった当時、私は、1年ほど付き合った4歳上の彼女にキレイに振られてしまい、失意の中にあった。こちら側すると、なぜ振られたのか分からない見事な振られっぷりで、しばらくは悶々としていたのだが、このアルバムは、前述の「冬がはじまるよ」が収録されていることから買ったもので、真面目に全部通して聴いてはいなかった。

ある日の出勤途中、運転しながら何気なしにこの曲を聴いていると、すーっと目をつたうものが…、なんと、涙であった。驚く自分、え~っと思っている傍からポロポロと涙が流れてくるのである。電車通勤じゃなくて良かったのだが、歌を聴いて涙を流したのは、後にも先にもこれが唯一である。まあその時の驚きと言ったら無かった。曲を聴いて泣くなんて、もう一生無いのではないのだろうか。こんなことさせるんだから、その後、私の槇原敬之に対するイメージは大きくランクアップした。槇原スゲエッ!って感じである。

この曲、シングルベストには収録されないので中々難しいかもしれないが、私のように、お姉さん彼女を相手に頑張っていたつもりが、実は全部空回りで、最終的に爆死した恋愛経験を持つ方に、是非お勧めしたい。

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