最後の?スーパーアイドル「光GENJI」!!
1987年リリース、光GENJIの2枚目のシングル。
ローラースケートによるアクロバティックな演出で昭和の終わりに旋風を起こし、「最後のスーパーアイドル」と称された光GENJI。私は、流行りものに関して結構ひねくれた部分があり、一時代を築いたり大旋風を巻き起こしたようなアイドルやジャニーズ系に関しては、特に理由や原因が無いのにアンチになることが多かった。
そんな私が高校生の頃に大流行した「光GENJI」。私は、案の定テレビで見るなり、何かのスイッチが入ったかのように、なぜか分からないが凄くムカついた。たかが高校一年生男子だった私だが、こんなに嫌悪感というか敵対心のようなものを抱いたアイドルグループは生まれて初めてだった。
昭和62年(1987年)というと、ここから超絶ブレイクを果たす工藤静香が「MU・GO・ん・・・色っぽい」を歌い、田原俊彦が「抱きしめてTONIGHT」で最後の花火を打ち上げ、浅香唯が「C-Girl」で当時のアイドル四天王に名前を連ねた頃。前年からのバブル景気が世の中を席巻しつつあった時代だ。
なぜ「光GENJI」にそこまで無性に腹が立ったのか?
当時は、「光GENJI」のことを直感的に嫌いになったので、理由など考えもしなかったが、30数年が経た今、静かに振り返ってみることにした。
ひとつ目「ローラースケートにムカついた!」
光GENJIの代名詞であるローラースケート、これがまた大して上手くないのだ。いや、下手くそと言ってもいい。とてもテレビで披露するレベルじゃない。アニメ「とんでも戦士ムテキング」の主人公みたいに華麗に滑るならともかく、ヨチヨチ歩きのようなローラースケートはいい加減にしてほしかった。
ふたつ目「諸星和己というキャラにムカついた!」
光GENJIの前に超アイドルとして君臨した「チェッカーズ」のフミヤも、まあ生意気でやんちゃな感じが持ち味のキャラだったが、それは芯から醸し出されるもので、本物だった。しかし、諸星和己の場合は、「かーくん」などという、これまたムカつく愛称をカサにして、例え大先輩にでも敬う姿勢は微塵もないクソ生意気なキャラだった。
半分は”演出”かもしれないが、半分は”地”だとしか思えず、私には腹立たしさしかなかった。
みっつ目「口パクを堂々とやる姿にムカついた!」
詳しい業界事情は知らないが、口パクをこれほど堂々とやったアイドルは光GENJIが元祖なんじゃないだろうか?ダンスが激しいからとか、ローラースケートだからとか、当時から言い訳じみた解説は出ていたが、「だったらローラースケート止めろよ、下手でもいいから歌えよ!」としか私には思えなかった。腐っても歌手なら、そこは譲っちゃダメなんじゃないの???
…30数年が経っていても、段々と腹が立ってきたのでもう止めるが、こういう輩を排出して荒稼ぎしたり、本人達に勘違いをした人生を歩ませたり、信者を作る一方で一定の視聴者をムカつかせたりするのは、なにか根本的に間違っていると、私は強く思う。
やり玉に挙げてしまった諸星和己さんを含め、メンバーに文句はない。「ジャニーズ」という会社のやり口が気に入らなかった。
「光GENJI」に関しては、ジャニーズがそれまでのラインを超えて暴走したように感じたのだ。
後世に語り継がれるべき屈指の名曲「ガラスの十代」
「ジャニーズ」に関し、私個人がどう感じたかはともかく「光GENJI」が幾つもの優れた楽曲を残したのもまた事実だった。
特に、この弾けるような爽やかさに溢れた「ガラスの十代」は、本当にいい曲だなと思う。
この光GENJIを代表する一曲は「チャゲ&飛鳥」の飛鳥が作詞作曲したというのは有名だが、同じく超アイドルだったチェッカーズのメンバーが、とんねるずとのコントでも使われた後期の代表曲「ONE NIGHT GIGOLO」を歌っていた頃、こんなことを言っている。
「あの”ガラスの十代”には、俺達にはもう歌えない、十代の瑞々しさというか感性があるよね。」
この言葉は、当時、毎月買っていた音楽雑誌からのものだが、凄く私の心に残った。
「…あ、確かに、そうだな…。」と、まだ十代だった16歳の自分が、そう思ったのだ。
現役の十代にそう思わせるなんて、相当だと思う。光GENJIの「ガラスの十代」は、後世に語り継がれるべきの、日本の歌謡音楽史に残る屈指の名曲だと思う。