ハワイ育ちのバイリンガール!

1985年リリース、早見優の14枚目のシングル。

早見優は、1980年の時にハワイ三越のエスカレーターでスカウトされ、1982年にアイドルデビュー。同期には、松本伊代、堀ちえみ、小泉今日子、中森明菜、石川秀美らがおり、花の82年組と言われた。

1983年には、自身も出演したコカ・コーラのCMに使われたシングル「夏色のナンシー」がヒットし、紅白歌合戦にも初出場。この「PASSION」まで3年連続で出場した。

他には、1984年の「誘惑光線・クラッ!」などが有名だが、ライバル勢が強力だったこともあってビックヒットを出すことはなく、80年代末には、新世代アイドルの波の中で、自然とフェイドアウトしていった。

一味違う魅力を振りまいていた早見優

私は例によって、特定のアイドルにハマったことはないのだが、この早見優に関しては、結構好きなアイドルだった。

当時は、「バイリンガル」という言葉も良く分かっていなかったが、歌が上手いのは聴いていて感じたし、顔つきも好みだった。私の場合、何というか、可愛らしい服を着ておしとやかにしているよりも、ちょっと強気な感じに惹かれる性質だったが、早見優は、正にそんな感じだった。

しかし、この「PASSION」をリリースする頃は、早見優としては旬の時期をちょっと過ぎた段階であり、第一線のアイドルが世代替わりをする直前の時期だったと記憶している。

中学校の同級生で、後に真っ赤なスープラを乗り回す友人Aは、少し後でTM NETWORKや杉山清貴を好んで聴く男になるのだが、この当時は、早見優をプッシュしていた。

私には、それがちょっと意外に感じ、ちょっと早見優に対して目が向いた時期があった。この「PASSION」は大してヒットもしなかったが、テレビで歌っている姿を見て、「なるほど、あいつ(友人A)が言うだけあって、なかなかいいかもな…。」なんて思ったものだ。

今、改めて聴くと、作曲が中原めいこ、と聞いて納得するような、ノリの良い、転調具合もちょっとファンキーで、あっさり終わってしまうのが物足りない佳曲である。

こういう感じの曲が、早見優には一番合っていたように思う。この曲がもう少し洗練されていて、もっと早い時期に当てがわれていたら、早見優はもっと大化けしていたのかもしれない。

 

思い出の曲 47曲目へ

思い出の曲 49曲目 柴田恭兵「ランニングショット」へ進む

思い出の曲 メインメニューへ

スポンサーリンク

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事