【明菜の代表曲】中森明菜「DESIRE-情熱-」
スポンサーリンク

スーパー女性シンガー「中森明菜」の代名詞!

1986年リリース、中森明菜14枚目のシングル。

先ず、昭和のスーパー女性シンガーである中森明菜のシングルリリースとその売上を振り返ると…。

①スローモーション 1982年5月 17.4万枚

②少女A 1982年7月 39.6万枚

③セカンド・ラブ 1982年11月 76.6万枚

④1/2の神話 1983年2月 57.3万枚

⑤トワイライト~夕暮れ便り~ 1983年6月 43.0万枚

⑥禁区 1983年9月 51.1万枚

北ウイング 1984年1月 61.4万枚

サザン・ウインド 1984年4月 54.4万枚

⑨十戒(1984) 1984年7月 61.1万枚

⑩飾りじゃないのよ涙は 1984年11月 62.5万枚

⑪ミ・アモーレ 1985年3月 63.1万枚

⑫SAND BEIGE 1985年6月 46.1万枚

⑬SOLITUDE 1985年10月 33.6万枚

⑭DESIRE-情熱ー 1986年2月 51.6万枚

あれ?一番売れたのは「北ウイング」か「ミ・アモーレ」だと思っていたのに、意外にも「セカンド・ラブ」。

‥ってことは、「セカンド・ラブ」で「中森明菜」という女性アイドル歌手の存在が世間一般に定着し、その後の連続ヒットに繋がった、という感じ?

まあ、そんな流れだったかもしれない。この頃は、松田聖子か中森明菜か?という2強時代で、何かとライバル扱いされていたけど、1985年に松田聖子は神田正輝と結婚して違う世界に行ってしまう。

孤高の女王感が強まる中森明菜は、ラテンの香り漂う「ミ・アモーレ」で人気のピークに達したが、続く「SAND BEIGE」に「SOLITUDE」とゆるやかな雰囲気に。

うんうん、やっと中森明菜も落ち着いてきたかな?これで贔屓の曲(安全地帯とか)がトップになりやすくなるだろう。

…なんて思っていたが、しかし、私は甘かった。

最後かつ最大の明菜爆発「DESIRE-情熱ー」

ボブカットに近未来着物を召しての新曲発表。

げっ!?なんだこの曲!

それまでは、デビュー以来積み重ね来たキャリアの流れとか、「中森明菜プロジェクト」の全体プロデュース感が何となくあったが、この「DESIRE-情熱ー」は、アイドル歌手という規格から完全に抜け出し、シンガーとしての自己を確立した気合がビシビシと伝わってくる凄い曲だった。

デビュー以来のファンは両手を上げて歓迎し、私のようなファン以外の中高生には驚きと感嘆を与え、その親世代である中高年層にも好意的に受け入れられる曲なんて、そうそう無い。

そりゃ売上枚数が全てじゃないが、リアルタイムで中森明菜を見てきた者として、「禁区」から「ミ・アモーレ」までの勢いが間違いなく黄金期で、その後、ちょっと落ち着いたかなと思わせた後の「DESIRE-情熱ー」。

自ら考案してスタッフの反対を押し切った鮮烈なビジュアルとアクロバティックな振り、そして明菜節全開の歌唱、どれを取っても完璧で、史上最高の歌謡曲のひとつ…いや、ホントに凄かった!

あの中森明菜でさえも、更なる先へは行けなかった…

しかし、如何な「中森明菜」でも、歌謡曲という制約の中でずっと頂点に居続けることは出来ず、その後は、「難破船」とか「TATOO」などで健在ぶりを示す佳曲もあったが、従来とは全く違うアプローチで進出してきた新世代アイドル「おニャン子クラブ」旋風などに押され、じりじりと高度を下げていった。

そんな中、6年間交際していた恋人の近藤真彦が、明菜のライバルとされていた松田聖子と密会したというゴシップが流れ、そのせいなのかどうか定かではないが、中森明菜は近藤のマンションで自殺未遂を起こし大騒動、程なくして、中森明菜は、女性シンガーの主役の舞台から姿を消してしまった…。

結果的に、「DESIRE-情熱ー」で世間の話題と称賛を独り占めした瞬間が、中森明菜の到達最高点だったのだ。

私は、当時は全然意識していなかったが、こうして振り返ってみると、かなり中森明菜に思い入れがあったみたいだ。

どれを聞いてもやっぱり名曲だし、中森明菜の歌声には強く惹きつけられる何かがある。ファンとは言えない身分だけど、こんなブログを書き始めて初めて気が付いた驚きだった。

 

スポンサーリンク

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事