思い出の曲 28曲目 中森明菜「サザン・ウインド」

思い出の曲

ちょっとエッチな美新人娘

1984年リリース、中森明菜8枚目のシングル。

「ちょっとエッチな美新人娘」今時、いや当時でもあまり知られていなかったように思うが、あの中森明菜がデビューするにあたり、つけられたキャッチフレーズである。

「エッチ」というのは言葉通りの意味ではなく、背伸びした感じを出そうとして考えられたそうだが、そんなチャチなキャッチフレーズなんかが笑い話になるほど、中森明菜は昭和後期の歌謡界を牛耳った、圧倒的な存在感を持つ歌手であった。当時、全く歌謡曲に興味が無い人でも、顔も知っているし名前も歌も聞いたことがある。そんな歌手、そうそう居ないのである。

正に「歌姫」というしかない

中森明菜はアイドルからのスタートでありながら、転機となった「飾りじゃないのよ涙は」以降は表現者としての才覚を如何なく発揮していき、私はあまりこの表現は好きでは無いが、正に「歌姫」という称号がピッタリの、いや、中森明菜でしか到達しえない地位といってもいい、そんなポジションまで行きついたシンガーであった。

この曲から明菜伝説がスタート

この「サザン・ウインド」は、「ワインレッドの心」でブレイク中の玉置浩二が作曲、来生えつこが担当した詩は、まるで明菜本人が南国で一人旅のバカンスを嗜んでいるようで見事にフィット、曲調はスリリングなアレンジが施され、どこを取っても全く隙のない傑作である。

中森明菜は、アイドルには珍しく、売り上げやチャート推移に執着心を見せるタイプであり、「スローモーション」でデビューしてから「北ウイング」まで、オリコン2位どまりだったのが悔しかったのかもしれない。

この曲からは、それまでの曲調にはないスピード感、緊張感に溢れており、ついに念願の1位を獲得。明菜人気にセールスも追いつき、女王街道を邁進していくことになるが、事実、この曲の1位から1988年の「TATTOO」まで15作連続で1位を記録していく。

実は目障りだった中森明菜

私は、中森明菜の歌は全般的に割と好きだったが、それ以上に好きだった安全地帯やその他のお気に入り曲のベストテン1位を必ず阻止するので、そういう意味で目障りな存在であった。

何しろ、新曲リリース=1位(しかも数週連続1位は覚悟)という強烈さは、同時代のライバルであるチェッカーズでさえも凌駕しており、中森明菜がいるせいで1位を逃したアーティストは山ほどいたに違いない。

中森明菜の場合、そのあまりの強さが、ファン以外にはやっかみ半分の反発心を抱かせていたような気がする。もし私が、安全地帯のファンではなく、もっと自然体で中森明菜に触れていたとしたら、ファンになっていたかもしれない。

後にそんなことを思わせるくらい、この「サザン・ウインド」は大好きである。この曲が連続1位のスタートだったとは、この記事を書くために調べて初めて知ったが、やはり、何かしらの転機となるような吸引力を持つ曲には、ファンではない者を巻き込む力があるのだろうし、だからこそ名曲として残るのだろうと思う。

 

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