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女子ボーカルバンドの金字塔 REBECCA
REBECCAは、80年代中期から後期にかけて、当時はまだ珍しかった女性ボーカル+男性演奏陣という編成で当時の邦楽ロック界を席巻。
1985年に大ヒットした「フレンズ」は今なお語り継がれる名曲で、その「フレンズ」を収録した4枚目のアルバム「REBECCAⅣ~Maybe Tomorrow~」はミリオンセラーを達成。
知名度、人気度、実力、セールス共に、頂点に昇りつめたバンドのひとつだった。
私も、当時の大多数の人と同じく、「フレンズ」でREBECCAのことを知り、その後のアルバムを順番に聴くにつれ、どんどんハマっていった。
しかし私はリアルタイムでファンになった者とは若干のタイムラグがあったので、古参のファンであった中学校の友人からは、「お前は安全地帯なんだから、今からレベッカに入ってこなくていい(ファンにならなくていい)」などと足蹴にされた記憶が残っている。
そのつもりが無くても「にわか認定」されてしまったのだが、あの友人は元気かな?
1984年のデビュー曲「ウェラム・ボートクラブ」
さて、この曲は、REBECCAの代名詞である「ガールズ・ブラボー」や「ラズベリードリーム」、また後期の象徴曲「MOON」や「NERVOUS BUT GLAMOROUS」などとはかなり趣が異なる。
シンセサウンド&ポップス路線に踏み出す前の、初期メンバー時代のデビュー曲だ。
REBECCA結成時のリーダーで立役者なのは、ギターの小暮武彦さん(通称シャケ)なのだが、セカンドシングル「ヴァージニティ」の後、音楽的志向の違い等からバンド内で揉めたようで、半ばREBECCAから追放されるような形でシャケさんは脱退。
バンド崩壊の危機は、キーボードの土橋安騎夫さんが新リーダーとなることで回避し、新生REBECCAは「ラブ イズ Cash」のスマッシュヒットを足掛かりにして、以降の私達が良く知る姿で大ブレイクした。
一方シャケ氏はREBECCA脱退後、その対抗心も露わにしつつダイヤモンド☆ユカイらとRED WARRIORSを結成。
こちらはREBECCAとは雰囲気が全く違い、キャデラックに金髪美女、ドンペリニョン全開なアメリカンロックで、非常に男臭い。そりゃREBECCAのカラーとは合わないよな、という感じ。
ただし、そんなシャケ氏率いた初期REBECCAでも、やはり類まれな天性のボーカリストNOKKOがプッシュされており、REBECCAはNOKKOがその全てを体現するために誕生したバンドだというのは、もうこの時点から決まっていた。
初期REBECCAのサウンドは唯一無二
REBECCAのNOKKOを色で例えてと言われれば、虹色とか赤とか紫、または青とか、とにかく艶やかでカラフルなイメージを持つ人が多いと思う。
でも、このデビュー曲「ウェラム・ボートクラブ」は、キレキレで激しくはあってもシックなモノトーン。
この曲に限らず、ファーストからセカンドアルバムまでの初期REBECCAは決してカラフルではなく、濃淡や鋭利さで勝負する曲ばかりで「ガールズ」な感じは殆どなく渋い。NOKKAのボーカルも良い意味で硬質感があって刺さる。
作曲は小暮だけではなく、後期リーダーの土橋もいくつか手掛けているが、このバンドサウンド全体の志向は、きっとシャケのものだったのだろうと思う。
私は、フレンズ以降の有名曲、「MOTOR DRIVE」辺りまでを一通り知った後で初めて聴いたので、おおっ??と異質な感じを覚えたが、それが逆に惹きつけられる切っ掛けになった。
この曲の独特のリズム感、主張の強いベースが耳について離れず、エンドレスでずーっとベースを追いかけてしまう。
名曲や代表曲ではなく、REBECCAの歴史からも埋もれているデビュー曲だが、強い引力を持ちバチバチ跳ねて弾けるような「ウェラム・ボートクラブ」。
ベスト版にも収録されているので是非聴いてほしい。
もし、小暮REBECCAが続いていたら‥‥
商業的には、小暮レベッカと土橋レベッカでは天と地ほどの開きがあるが、私の中では、楽曲的な格差、優劣のようなものは感じない。
フレンズ以降のREBECCAも勿論好きだが、より深く刺さっているのは初期の方。
史実のレベッカとは別に、IFとして小暮リーダーで突き進んだREBECCAがどんな楽曲を残したのか、とても興味がある。