玉置浩二「星路」と、安全地帯「愛の戦友」の境界線
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デビュー40周年を迎えた安全地帯

デビューから40年経った2022年に新曲を発表した安全地帯。

キャリア相応にゆったりした活動ペースではあるけれど、40年もやってきて新曲を出すとは、ミュージシャンとしての熱い情熱、枯れることのない創作意欲があるからこそであり、我ながら筋金入り人達をずっと追いかけてきたんだなぁと他人事のように思ったりする。

30年も40年もの長い間、同じメンバーで活動を続けているロックバンドはとても少ない。

残念ながら2022年12月にドラムの田中裕二さんは闘病の末に亡くなり、もう安全地帯のフルメンバーが揃うことは永遠に無くなってしまったし、彼らの楽曲が大ヒットするような時代でもないが、北海道から誕生したロックバンド「安全地帯」をスルーしてきた人達は是非、今なお歩みを止めない彼らの音楽を聴いてみてほしい。

玉置浩二「星路」の詩

その安全地帯のリーダー、玉置浩二は、もうすっかりソロのイメージが強い。

実際、玉置浩二の音楽活動はソロ中心になっているが、一定期間ごとに安全地帯の活動も挟んでおり、旧来の濃いファンをやきもきさせる。今回取り上げている玉置ソロと安全地帯のシングルは、どちらも2022年にリリースされたものだ。

私の場合、玉置浩二ソロの「星路」(「みち」と読む)と、安全地帯「愛の戦友」は、殆ど同時に聴くことになったが、一聴して、やはり似て非なる2曲。「星路」はソロ曲だし、「愛の戦友」はバンド曲。そしてどちらの曲も、還暦前後の彼らが今、歌う曲として相応しい2曲だった。

先に聴いたのは「星路」の方。

今年(2022年)の夏の終わり頃、コロナ禍で自粛されていた地元の花火大会が開催され、久し振りに花火見物に行った時の出来事。

派手なオープニングが終わって中盤に入り、単発の花火がしみじみと上がるところで、この「星路」がBGMとして花火会場に流れた。

最初は、(花火大会で玉置浩二のバラードか‥‥、俺はファンだからいいけど、ちょっと地味すぎないか?)と思ったが、ポーン、ポーンとひとつずつ上がる花火と相まって、しっとりとしたいい雰囲気が会場を漂うようになった。

悪くない‥‥、ていうか、いいなこの曲、それにしても玉置浩二はやっぱり歌上手いなぁ。と感心しているうちに、ちょっと違和感を覚えた。

何というか、歌詞全体の言葉の繋がり、使うワードや語句の切り方なんかが、玉置浩二らしくない。

曲とアレンジはいかにもソロの感じだし、だとすれば作詞は玉置自身のはず、でも、何かしっくりこない。

作曲の天才、玉置浩二の作詞

正直、私は玉置浩二の作詞は好みじゃない。

詩としての生命力、間違いなく玉置浩二由来だという生々しさみたいなものを強く感じるが、それが私にとってはストレート過ぎる。何というか思いの丈を全てをさらけ出し、また泥臭さであっても惜しげもなく噴出させるような詩。

私は、80年代後半から90年代に掛けて大活躍した職業作詞家、松井五郎が得意とする雰囲気歌詞が好きで、グサッと刺さる言葉の直球は味わいたくない人。これはもう詩の優劣ではなく個人の好き嫌いなので仕方がない。

花火大会に添えられた玉置浩二ソロ作「星路」には、なぜか彼の作詞にありがちな生々しさがなく、もちろん松井五郎とも違うが、ちょっとサッパリしていて洒落た雰囲気があるなと感じた。

で、ちょっと調べてみたら、やはり「TENKO」さんという人との共作。私は自分の玉置浩二ファンとしての実力?に自分で感心してしまった。

更に「TENKO」さんって誰?となるが、こちらはなんと奥様、青田典子さん。

ちょっとビックリでした。離婚経験の多い玉置さんですが、ついに生涯の伴侶なんでしょうか。

安全地帯が繰り出した問題作「愛の戦友」

さて、「愛の戦友」の方は、こちらも玉置浩二の作詞だが、かつて無いくらいの重さで「戦友」というタイトルを裏切らない悲壮感と、強いメッセージ性で聴く側のボディをドスドスと連打してくる。

AメロからBメロまでの往年を少し喚起させる洒落た感じは何処へやら、サビに向かってグイグイと盛り上げて、「愛のせい」「戦友」「誓う」「這ってでも」「嘘はない」といった、誤魔化しのきかない言葉を連呼する。

私にとって、苦手な歌なのは間違いない。が、途中で聴くことを止めることが出来ない。歌に自分を試されているような、そんな力強さ。

好みじゃないし、苦手だが、嫌いではない。それどころか、定期的に聴いてしまう。なんて歌を作ったんだ、玉置浩二、そして安全地帯は。

還暦になって歌は相変わらず上手くても、セクシーさがポイントだったかつての楽曲たち「じれったい」なんかだと、枯れた声質のせいで別曲みたいになるかもしれないけど、「星路」と「愛の戦友」はどちらも、今現在の玉置浩二が歌うべき歌であり、「愛の戦友」のアレンジは、やっぱり安全地帯ならではの個性を感じさせる

玉置ソロと安全地帯の境界線

こんなに長い間、ソロとバンドを行ったり来たりしているミュージシャンは、他には桑田佳祐くらいではないだろうか。

ソロ活動を本格化した当初こそ、飛行機や船で国を飛び越えたような違いを出そうとしていたし、実際に差異もあったが、安全地帯として13枚目のナンバリングアルバムを出す際に、それまで玉置ソロで発表してきた「田園」や「All I Do」等を安全地帯として収録しており、もう使い分けを止めて融合したのかと思っていた。

が、しかし、「玉置浩二」と「安全地帯」の間には、やはり明確な境界線があるのだ。

玉置浩二が、自身の二面性を融合させられないミュージシャンなのかもしれないし、安全地帯の方が、彼がソロの時に露出するある部分を、異分子として受け入れられないのかもしれない。

40年来の「安全地帯ファン」である私は、後者だと思っている。

 

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