trf(TK RAVE FACTORY)「GOING 2 DANCE」
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【trf】90年代~小室祭りの開幕!【TRF】

1993年リリース、急に登場したダンスボーカルユニット、trfのファーストシングル。

ダンスを中心とした5人組のグループで、本名は「TK RAVE FACTORY」、プロデューサーはTKこと小室哲哉。

ブレイクは次作の「EZ DO DANCE」だが、その後は着実にヒット作を重ねていき、1995年1月から3月までの3ヵ月連続でリリースされた「CRAZY GONNA CRAZY」「masquerade」「Overnight Sensation」の3大ビックウェイブでトドメを刺す展開。

この流行振りは凄まじく、私のようにリアルで体験した人は分かってくれると思うが、こんなにドカンと売れてしまってtrfはこの先どうなってしまうんだろうと心配してしまうほどだった。

しかし、その心配は、違う意味で現実になった。

「Overnight Sensation」のリリースから僅か5ヶ月後、trfをプロデュースしていた小室哲哉は、globeという真新しいユニットを結成し、しかも自身もメンバーとして全面に出た上で「Feel Like dance」でデビュー。

あれだけ隆盛を極めたtrfであったが、小室哲哉がglobeに注力するのと時を同じくして、第一線からあっと言う間に下がっていった。

trfを教えてくれた友人A

中学生の同級生でファミコンや麻雀に明け暮れていた私達も、trfが流行った頃は20歳を過ぎ、各々車を乗り回す身分に昇格していた。そんな頃、それほど頻繁には遊びに来ない友人Aが、真っ赤なスープラ(70系)に乗って家にやってきた。

車自慢もソコソコに、スーパーファミコンのストリートファイターⅡで熱い対戦を繰り広げる私と友人A。しかし、この時は私の方が慣れていたこともあって、大幅に勝ち越していた。

ストⅡ勝負がひと段落した頃、友人Aが「とたん、これ聴いてみ」とおもむろに出してきたCDが、trfのデビューアルバムだった。

へえ~と相槌を打ちながら聴いてみる。正直、一聴した段階では、いいとも悪いとも分からなかったが、「新しい何か」というのはビシっと伝わってきていた。

そうか、TMの小室がまた新しいことやりだしたんだな…。TMネットワークは超大好きとまではいかない存在だったが、澄み切ったシンセ音は唯一無二のサウンドでもあった。

数日後、私はさっそくCDを買いにショップに出向くのだった…。

大ムーブメントというものは、若者の旺盛な好奇心と行動力が火付け役になって生まれることが多い。

少子高齢化が叫ばれている日本には、この先、こうしたムーブメントは果たして起きるのだろうか?当時はそんなことは考えもしなかったが、今、振り返ると、こういうことだったんだと良く分かる。

それにしても、この友人Aは、仲間内の中でもかなり変わったタイプで、何かにつけて天才肌の男だった。

目端が利くし、凝り性で、器用だった。この時は楽勝だった、「ストリートファイターⅡ」も、少し後に対戦した時には、押され気味の互角になっており驚かされた。今はどこでどうしているのやら…。

不遇の存在…trf

しかし、trfはあんなに売れまくったのに翌年には全部「globe」に上書きされ、まるで無かったことみたいになっていた。

これが全く別のユニットやバンドに抜かれたなら仕方ないが(普通はそうだ)、この場合はどちらも小室哲哉プロデュースの音楽ユニットだ。

なにこれ?使い捨て?と、当時の私は感じていた。

globe登場以降も、trfはシングルもアルバムもリリースされていったが、どちらの曲も作るのは小室哲哉。「出来の良いポップス」がどちらにあてがわれるかは誰にでも分かる構図だった。

なお、ここで言う「出来の良い曲」とは、一般的とっつきやすさを基準にヒットしやすいかどうかという意味で、小室哲哉が手を抜いたという意味ではない。どちらもクオリティ自体は高く、曲としての優劣はない。

しかし、そんなことは後年になって振り返ってから分かることでもあり、trfブームが去った後、中古ショップにはTRFのCDが山のように積まれて安売りされていた。

そんな経緯があるせいか、今となっては音楽的に語るのが恥ずかしいような存在になってしまったtrf。

小室哲哉ヒストリーとしては、globeの方が音楽的な位置付けとしては重要なのかもしれないが、私は断然trf派だと宣言しておく。

 

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