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昭和の高度成長期を映した「あしたのジョー」

この「明日への叫び」は、1880年に公開されたアニメ映画「あしたのジョー2」の主題歌。

「あしたのジョー」は、日本犯罪史に残る3億円事件とか、沖縄返還とか、ビートルズ旋風とか、世界初のカップ麺が日本で誕生とか、そんな出来事があった1970年前後に少年マガジンで連載された伝説級の漫画。

内面には弱者への優しさを持っているものの、気性が荒くて喧嘩っ早いチンピラの矢吹丈が、少年院時代に出会った宿命のライバルである力石徹に勝つためにボクシングにのめり込み、「明日のためにその一」から始まる、彼の才能を見出した丹下段平からの葉書を握りしめ拳闘に命の全てを注ぐ。

文字通り血と汗を振り絞り、肉を切らせて骨を断つ捨て身の戦法で戦い、その後も孤高の餓えた狼みたいに生き、最後は死んでしまう可哀そうな物語…だと一般的には思われている。

それは結構合っているし、原作もアニメも、雑になぞるとそんなストーリーだ。

そのせいか、「あしたのジョー」の主題歌というとアニメ1作目の主題歌だった尾藤イサオの方、「叩け!叩け!叩け~~!」の方ばかりが取り上げられるし、矢吹丈のイメージは少年院時代から力石戦までの姿で語られる。

それが私としては凄く不満で仕方が無い。

力石の死後、大人になった矢吹丈を描いた出崎統

アニメ化された「あしたのジョー」は、1作目と2作目があり、それぞれ劇場版もある。どちらも「エースをねらえ!」を手掛けた名演出家である出崎統氏らしい仕上がりだが、「あしたのジョー2」は特に出崎色が濃い。

私が推すのは、1980年に放送された2作目の方「あしたのジョー2」だ。

原作が完結して時間が経ってからの制作で、オリジナルの準レギュラーキャラも配置され、描写もエピソードも、漫画アニメではなく完全に邦画ドラマ。

丹下段平やマンモス西、ヒロイン白木葉子といったレギュラーの他、ウルフ金串やカーロス・リベラ、王者ホセ・メンドーサとの絡みも、じっくりたっぷりと描かれ、「矢吹 丈」という、時代的にもう二度と誕生しないであろうキャラを限界まで掘り下げている。

その「あしたのジョー2」は、生涯のライバル力石の死を乗り越えて(と自分では思って)現役にカムバックした矢吹丈が快進撃するところから始まるが、クールなカメラ位置で物語は淡々と進む。

その証拠?に、アニメ版のオープニングには、ジョーなどの登場キャラが誰一人登場せず、ボクシングを当時のゲーム画面風に表現したシーンが延々と続くだけ。そして劇場版のオープニングに至っても、当てもない旅をしていたり飄々とした表情を見せる矢吹丈のシーンが大半で、とても洒落ている。

「あしたのジョー」という作品が真に深みを増すのは力石が死んでからで、しかもそれを更に濃厚にしたのが、出崎統が独自の解釈を加えたアニメ版「あしたのジョー2」なのだ。

出崎統のアニメ版は、原作以上に「矢吹丈」という男を描くことに力を入れており、特に大人の男性に響く何かを突き刺してくる作品だ。

ラッキーにも、この映画はテレビでよく再放送された

アニメ版はあまり記憶がないが、劇場版の「あしたのジョー2」は、私が中学校とか高校生だった頃、1980年後半から1990年前半までの間、結構な頻度で再放送されていた。

なぜか高校時代のホームルーム?の時間、自習だったのか何だったか覚えていないが、視聴覚室でこの「あしたのジョー2」のテレビ放送を録画したものを皆で見る機会があった。このブログの「オヤジギター」で登場するギター師匠も、同じクラスだったのでひょっとしたら覚えているかもしれない。

視聴時間は当然ながら1時間なので、上手く端折っても、既にパンチドランカーの矢吹丈が最後の相手である無敵のチャンピオン”ホセ・メンドーサ”と闘っている最中で時間切れ。

もうホームルームの時間が終わって休み時間に入っているのに、画面は、ジョーがホセのコーク・スクリューパンチに対して決死の反撃をしているシーン…、なかなか席を立てなかった級友達が多かったのが印象的だった。

そして私も、もうこの映画を何度も見ていて全部知っているにも関わらず、やっぱり最後まで見たい気持ちが勝ってしまう。

「明日への叫び」と「あしたのジョー2」

力石を失った後の矢吹丈には、尾藤イサオの「叩け!叩け!叩け!~明日はどっちだ?」の方じゃなく、ジョー山中が歌う「ジョー2」の主題歌「明日への叫び」の方が合っている。

劇中の矢吹丈は文句なしにカッコいいけど、やっぱり辛い物語だし、見終わった後は、満足感はあるけどやり切れない気持ちにもなるので好みが分かれる映画だ。

でも、自分に「力」が入る映画でもある。「あしたのジョー2」の映画をよく知っていると、この「明日への叫び」を聴いているだけで、早朝でもテンションが上がってくるくらいだ。

…絶対に無理だし、絶対に嫌だが、やっぱり矢吹丈の生き様には憧れる。そして、ボクシングじゃなくても、何かに燃えて、燃え尽きてみたいとも思う。

「ロッキー」のように栄光と幸せを掴むためではなく、自分らしく生きるために…。

 

 

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