思い出の曲 68曲目 「アフターバーナー」と「スーパーハングオン」のBGM

思い出の曲

体感ゲームと呼称されたゲームセンターの王様達

「アフターバーナー」と「スーパーハングオン」は、どちらも1987年にセガから発表された大型筐体のアーケードゲームで、レバーやボタンだけでなく、身体でバイク型筐体を傾けて操作したり、ゲーム画面に合わせて座席が大きく動いたりするのが売りで、当時は「体感ゲーム」と呼ばれていた。

ゲームデザイナーは、「セガ・エンタープライズ」というややマイナーだったゲーム会社を一気にメジャーにした「アウトラン」や「スペースハリアー」をはじめ、1993年に一世を風靡した「バーチャファイター」を産み出した鈴木裕氏。

当時、3DCG技術は既に実用化されていたが、まだまだグラフィカルに高速描画するレベルには達しておらず、3DCGを一般人が目にする機会はそうそう無い時代だった。

当時のコンピューターの最新技術を投入されて続々登場していたアーケードゲームも、従来の「スプライト」と呼ばれる二次元の技法と背景の組み合わせの中で、キャラクターパターンを多数用意し、それを重ねたり拡大縮小させたりしてゲーム画面を表現していた。

しかし、「アフターバーナー」は、それを豪快に使い尽くした高速処理でスリル一杯の疑似3Dを表現しており、インベーダーから脈々と続いてきた技術の完成形であり究極の姿、行きつくところまでいった感が登場時から漂っていた。

実際、1989年にナムコ「ウイニングラン」で日本初の3DCGポリゴン描画のゲームが登場し、その後にセガの「バーチャレーシング」やナムコの「リッジレーサー」で時代がガラッと変わるまで、当時高校生だった私は、「R-TYPE」や「グラディウスⅡ」などに100円玉をつぎ込みつつも「最近のゲーセンは何となくイマイチだな…」と思ったりしていた。ちょっとした行き詰まり感があったのだ。

セガの体感ゲームは名曲揃い!

「アフターバーナー」も「スーパーハングオン」も目まぐるしいばかりのスピード感と美麗なグラフィックが売りで、物凄くハイテンションなノリでゲームが始まるので、ちょっとやったくらいでは上手くならず、何かのコツを掴まないとあっという間にゲームオーバーになるタイプのゲームだった。

流石にコイン投入後に「オープニング天和」をぶちかます脱衣麻雀ゲームよりはマシだったが、それでも筐体に投入した100円玉の寿命は僅かだった。でも、私は「アフターバーナー」にも「スーパーハングオン」にも腹立たしさは感じなかった。

クールで洗練されたグラフィックに加え、それを側面から支えて、ワンランク上の存在にしていた、およそ当時のゲーム音楽の枠を飛び越えていたBGMがあったからだ。

「アフターバーナー」は、前年に公開されて大ヒットした、トム・クルーズのブレイク作であるハリウッド映画「TOP・GUN」のイメージでゲームが形作られていたが、BGMに至ってもその延長線上にある雰囲気で、エレキギターがバリバリのロックサウンド系で固められていた。

一方「スーパーハングオン」の方は、もっとフュージョン寄りで、ゲームの登場と同じ1987年にフジテレビの「F1グランプリ」のオープニング曲として大ヒットした「ザ・スクウェア(後のT-SQUARE)」の「TRUTH」に繋げてもおかしくない、爽やかでちょっと物悲しい曲調が多かった。

どちらも何度聞いても飽きない耐久度のある曲ばかりで、本当に完成度が高い。特にアフターバーナーでは4ステージで初めて聴ける「AFTER BURNER」、最初に4曲から選択できるスーパーハングオンなら「Sprinter」という曲を特に気に入っていた。

といっても、当時のゲーム音源では、どんなに頑張ってみたところで、やはりまだまだ「エレキギターやドラムっぽい電子音」の域を出ておらず、音そのものは、今聴くと古さは否めない。

…が、メロディやリズムがずば抜けてハイセンスなお陰で、名曲たりえているところが凄い。曲の素晴らしさに対しての音源の物足りなさが、かえって原曲の格を上げていると屁理屈を言いたくなるくらいだ。

当時のゲームミュージッククリエイター

長い間、所詮ゲームの添え物でしかなかったゲームミュージックが、この頃からグッと存在感を増すことになっていくが、当時の私は、このような名曲に対しても「ゲーム会社に入って、たまたま音楽担当になった素人が、キーボードやパソコンを必死に叩いたところ、たまたま上手く出来上がったのだろう」と、軽く考えていた。

要するに、音楽的センスは特に無い一般人が、音源の能力やプログラミングの妙の恩恵を受けて、結果的に名曲が生まれているのだろう、と思っていたのだ。

しかし、それはとんでもない認識違いだった。あの名曲達は、そんな偶然と幸運のたまものなんかではなく、音楽的な才能の上に修練を重ねて来た、決してメジャーではないが紛れもない”ミュージシャン”の手によるものだったのだ。

そのことは、かなり後年になってから知った。テレビゲームの音楽なんか作っても、余程の大ヒットゲームでもない限り、大した稼ぎにはならないだろうし、名声を得られる訳でもなく、地味な存在なのは2019年の現在でも変わらない。

だからこそ、あの名曲達を産み出した作曲者達には、心から敬意を払いたいと強く思う。

 

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