荻野目洋子「NON STOPPER」と「Dance Beatは夜明けまで」

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2020年でも現役の女性シンガー「荻野目洋子」

女優「荻野目慶子」の妹で、1978年、小学校4年生の時に出場した「ちびっこ歌まねベストテン」で芸能界デビュー。

1984年には「未来後悔-Sailing-」で当時らしいノリの初々しいソロデビューを飾ったが、アイドルとしての押しが確立するまでに少し時間を要し、ブレイクしたのは1985年にリリースされた7作目シングル「ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)」。その後は安定した人気を誇った。

「ダンシング~」のせいで「荻野目洋子」=「ダンスソング歌手」というイメージが先行するが、実際には音楽スタイルは幅広く、NHK紅白歌合戦にも計5回、二度の返り咲き出場を果たすなど、旬の時期が短くなりがちなアイドル歌手の枠を超えた女性シンガーとして長く活躍した。

結婚と育児で芸能生活から離れていたが、2013年末にテレビで久し振りに披露した「ダンシング・ヒーロー」が人気を集めて活動再開。2017年には平野ノラによるネタが高校ダンス部の活躍と相乗効果を発揮して再ブレイク。

50歳を超えた今でも、ちょっと鼻にかかったコロッとした可愛い感じの歌声と、当時を彷彿とさせるルックスを維持している珍しい人で、現役感バリバリの人気歌手だ。

80年代ポップスアルバム10傑に入る超名盤「NON-STOPPER」

1986年にリリースされた荻野目洋子6枚目のアルバムだが、この世代の人は、まぁ~殆どの人が耳にし、そして「いいじゃん、荻野目洋子って」と感じたであろう超名盤。

このアルバムは当時屈指の80万枚を売り上げて年間一位に輝いた。

売上枚数の話になると、ミリオンヒットがバカみたいに続出した1990年代のCDバブルの数字が上位に並ぶので、他の年代との適正な比較にはならない。

もし「NON-STOPPER」がリリースされたのが1990年代のCDバブル期だったら、「宇多田ヒカル」とか「浜崎あゆみ」のキャラと被ることもなく、アルバムの出来栄えからいって200万枚は軽かったと思う。…いや、300万枚以上行ったかもしれない。

私は、定期的に発生するシングル一発屋に関しては「ま、これは奇跡の一曲なんだろうな、着想とか運が良かったね」としか思わないが、アルバムの一発屋はありえないというのが持論。

このアルバムには、出世作の「ダンシングヒーロー」の他、個人的に好きな9枚目のシングル「Dance Beatは夜明けまで」の他、「六本木純情派」などのヒットシングルが全部入っている。

また洋子つながり?の後輩「長山洋子」がカバーしてヒットした「ヴィーナス」の荻野目ver、更に「TM NETWORK」がブレイク中だった小室哲哉が「NONSTOP DANCER」を提供と、ラインナップも音楽的な話題性もてんこ盛りの大盤振る舞い。

「NON-STOPPER」の最強布陣

  1. ダンシング・ヒーロー (Eat You Up)  ※シングル曲
  2. Dance Beatは夜明けまで  ※シングル曲
  3. フラミンゴ in パラダイス  ※シングル曲
  4. ヴィーナス  ※洋楽カバー
  5. Melting Point
  6. 六本木純情派  ※シングル曲
  7. D2D
  8. NONSTOP DANCER  ※小室哲哉作曲
  9. CHA-CHA-CHA  ※洋楽カバー荻野目ver
  10. 瞳にI Love You

こうして並べてみると、長打も打てる強力な先頭打者から始まるプロ野球チームのスタメンみたいで笑える。

1990年以降、ベスト盤とかシングル集が定期的にリリースされることは普通のことになるが、それが一般的になるずっと前に、シングル集ではなく、荻野目洋子のオリジナルアルバムとしてリリースされた「NON-STOPPER」の音楽的な塊感+お得感はハンパじゃなかった。

私は荻野目洋子のファンと言うレベルではないものの、かなり意識したアイドル歌手だったし、ビジュアルも歌声も好みだった。特に、このアルバムに関しては随分と繰り返し聴いた覚えがある。

‥で、ホームランバッターがズラッと並ぶ強力なラインナップの中に埋没しつつも、清涼剤のような爽やかさをプラスしていたのが、彼女の決して代表曲ではない「Dance Beatは夜明けまで」。

なぜか私は、この曲が一番好きだった。私の中の「荻野目洋子イメージ」と合致していたのかもしれない。

 

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