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62歳の若さで他界してしまった‥笠浩二
1980年代後半、チェッカーズや吉川晃司とともにアイドルバンドとして一世を風靡したC-C-B。そのイメージリーダーだった笠浩二さん(以降、敬称略)が、2022年12月に62歳の若さでこの世を去ってしまった。
シンセドラムを叩きながらのリードボーカル、パステルカラーの伊達メガネ、ピンク色のヘアー、そしてボーイズソプラノな声色。そのどれもが新鮮で、C-C-B全てのイメージを独りで体現していたのが笠浩二だった。
ブレイクしてからの活動期間は1985年から1989年までで、最前線でテレビに出ていた期間とメンバー等身大の活動がそれぞれ2年間で計4年間。私達のような一般層に強く残った記憶に反して、C-C-Bは短命だった。
C-C-Bのエース「笠浩二」
「Romanticが止まらない」から「ないものねだりの I want you」までの2年間、C-C-Bにはリードボーカルをとるメンバーが、笠浩二、渡辺英樹、関口誠人と3名いたが、エース的な立ち位置だったのは笠浩二だった。
ボーイズソプラノ的と表現された声色は、純粋な歌唱力はまた別としても強いインパクトと心地よさがあって、一度聴いただけで耳に残り、ふとした時にでも「あ、今の笠浩二だ」と分かるほどなので、C-C-Bのエースなのも納得。
が、しかし、笠浩二ボーカルが前面に出されていたのは「Romanticが止まらない」の次作シングル「スクール・ガール」までで、C-C-Bの成功を決定づけた重要なシングル「Lucky Chanceをもう一度」と、それ以降のシングル曲やアルバム曲をよく聴いてみると、笠浩二のボーカル部分は意外なほど少なく、関口誠人がC-C-Bを離れる時までにリリースされた楽曲の中に、笠浩二のソロ曲は数えるほどしかない。
ドラムをプレイしながら歌うというスタイルは素人目にも難しそうだと感じるくらいなので笠ボーカルが少ないのかもしれないが、私はそれよりも、C-C-Bのプロデュース戦略的な理由からではないかと思っている。
チェッカーズの絶対的エースに対し、三枚看板で挑んだC-C-B
ライバルのチェッカーズは7名編成で複数のリードボーカルがいた。
が、こちらはC-C-Bと違い、絶対的エース藤井郁也が不動の存在だった。歌唱力、ステージパフォーマンス、ビジュアルと、人気バンドのボーカルに必要な要素全てを兼ね備えた超人で、鶴久正治や高杢禎彦というボーカルもいたが、バンドのバリエーションを豊かにするオプションでよく、つまりチェッカーズには余裕があった。
C-C-Bの場合、人気に火を付けたのは笠浩二のお陰なので、彼を中心にして
しかし相手はチェッカーズ。正攻法での勝ち目は
藤井郁也との一対一の勝負では分が悪いと考えたC-C-B側が、笠浩二ひとりをプッシュすることを避け、
また同時に、悪く言えば郁弥一人に引っ張られてしまったチェッカーズ
「Lucky Chanceをもう一度」と「空想Kiss」での渡辺メイン、合いの
C-C-Bファンも笠浩二ファンも惚れた名曲「スワンの城」
私は、大ブレイクからの猛烈スケジュールを経て、一旦息を入れた後のシングル
「スワン
もう、素晴らし過ぎる。「元気なブロークンハート」が気に入って、当たり前だけどそれ目
そしてこの曲は、笠浩二の声色であることが、曲の魅力を大いに増幅させている
この頃のC-C-Bは、チーム(5人バンド)としての魅力に溢れていた。ボーカルで、リーダーで、超ギタリストで、というカリスマ一人に引
それでもやはり、C-C-Bと聞いて一番最初に思い浮かべるのは
彼がいなければ、C-C-Bはこの世に誕生し存在しえなかった。本当にそう思う。合掌