【80年代アイドル】チェッカーズに安全地帯、吉川晃司にCCB‥‥

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レベッカやアルフィーには無いジレンマ

80年代初めから半ばにかけて、チェッカーズ、安全地帯、吉川晃司、CCBがデビュー。

いずれもアイドル的なブームを起こして一世を風靡した後、ミュージシャンとして末永く活躍、残念ながらチェッカーズとCCBは解散してしまったが、個々のメンバーは現在でも音楽活動している大物達だ。

同世代で大成功したミュージシャンには、サザンオールスターズ、レベッカ、アルフィーなんかがいる。時代としては一括りになるグループなのだが、チェッカーズ、安全地帯、吉川晃司、CCB‥‥、彼らには、サザンやレベッカにはないジレンマを抱えて活動した時期があった

デビューから大ブレイク中の約2年間、彼らは、人気を得るため、売れるために、塗り固めた自分で勝負しなければならなかった

1980年代初頭の歌謡曲界

彼らが世に出るちょっと前、1980年初頭、日本の音楽界(歌謡曲界と表現したほうがしっくりくる)は「演歌」と「アイドル曲」、そして「歌謡曲」の三種類に大別されていた。

北島三郎や五木ひろし等の大御所が揃う「演歌」、たのきんトリオや松田聖子等がひしめく「アイドル曲」、これが二大勢力で、バンド系としては、ヴィジュアル系のハシリとも言われる脂の乗り切った超スター「沢田研二」がいて実際にカッコよかったが、あくまでも歌謡曲の枠組みの中でアイドルとして活躍していた。

世良公則とか、ハウンドドック、原田真二、忌野清志郎‥‥、と現代の邦楽ロックの源流な人達も存在していたが、いわゆる「流行歌」の主流ではなくアウトロー扱い。音楽マニア以外の一般大衆が飛びつく楽曲、大ヒットになる流行曲は、歌謡曲を含めた「アイドル」が強かった。

そんな土壌が、1980年代半ばにかけて大きく変わっていくが、まだまだ過渡期だった。欧米のロックミュージックを聴いて育ち、音楽で成り上がろうと上京してきたチェッカーズや安全地帯、吉川晃司にCCB‥‥。

そんな邦楽新世代の担うロックミュージシャン達、では、彼らをどうやって世の中に出すのか?

ダイヤモンドの原石なのは所属事務所も分かっていた。音楽的にもビジネス的にも、総力を挙げて売り出す価値がある。しかし、彼らの「そのまま素」で売り出しても、一般層に支持して貰える可能性は低い‥‥。

当時の日本には、彼らの音楽性を汲み取ってファンになってくれる一般層が十分に育っていなかった。ドカンと流行らせるには、熱烈なファンになってレコードを買ってもらうには、楽曲は勿論のこと、見た目やキャラ設定を工夫する必要があった。

施されたキャラ設定と大ブレイク

チェッカーズ:チェック柄ファッションと髪型でポップに、立ち振る舞いは正統派のジャニーズ系アイドルで

安全地帯:スマートなスーツで揃え、お洒落な都会の夜感を満載にしてアダルトに

吉川晃司:スカッと爽やかな真っ白ファッション、日本人離れした体躯を活かしてスポーティに

CCB:チェッカーズと差別化しつつ、パステルカラーでカラフル&ポップ感を色濃く

ヒットチャートに乗ってテレビのベストテン番組に出演することは、2022年の現代に比べて遥かに価値があり、大きな成功が約束された時代。髪型やファッションといった見た目をどうこうされるのは、強い抵抗感はあっても、何とか我慢して受け入れられたかもしれない。

しかし、彼らはもっと大きな代償を払わなくてはならなかった。なんと、自分(自分達)で作った曲をシングルとして売り出し、それをテレビで歌うことは出来なかったのだ。

彼らは、見た目やキャラ設定だけではなく、職業作家が作詞作曲した楽曲をあてがわれ、音作りの全てをプロデュースされた。せっかくこれまで自分達が積み上げてきたメロディにアレンジ、これらは半ば封印された

ミュージシャンは、自らが生み出したメロディや詩を楽曲としてアウトプットし、何らかのリターン(売上や共感など)を得ることが本来のサイクル。なので、この封印は「売れて人気が安定するまでは」という期間限定だったと思う。

そうじゃなければ、とてもじゃないが受け入れられなかっただろう。

職業作家の縛りからの解放

安全地帯の場合はスカウトしてくれた井上陽水に、作詞だけでなく作曲もと動き出した事務所に「自分の作曲で音楽やれないなら旭川(北海道)に帰る」と言い切った玉置浩二が「ワインレッドの心」の大ヒットを放ち、何とか作曲権を確保。

しかし、チェッカーズ、CCB、吉川晃司にはそれは許されず、職業作家による完全プロデュースのシングルで大ブレイクした。

大きな代償を払いながらも大成功した彼らは、皆、約2年過ぎたところでようやく自作曲のシングルをリリース、職業作家の完全プロデュースからの脱却を果たした。(なお、安全地帯は最初から自作曲だが「じれったい」で曲調が大きく変化)

チェッカーズ:1983年「ギザギザハートの子守歌」でブレイク → 転換期:1986年10月「NANA」

吉川晃司:1984年「モニカ」でブレイク → 転換期:1986年「MODERN TIME」

CCB 1985年「ロマンティックが止まらない」 → 転換期:1987年「原色したいね」

安全地帯1983年「ワインレッドの心」 → 転換期:1987年「じれったい

こうして、実力のあるミュージシャンが自作曲で活動するようになる‥‥、いいことばっかりに思えるが、そうとも言い切れないのが難しい。皮肉なことに、いずれも職業作家プロデュース時代に比べて大きくセールスを落としているからだ。

しかしセールスというのは、大ブレイクの余勢を駆って売れた場合もあるが、最初のブレイクは、多くの人達の琴線に触れる楽曲、歌声にサウンド、ビジュアル、ミュージシャンとしての魅力が溢れていたからに他ならない。

類まれない魅力、だからこそ爆発的に「売れた」のだ。プロデュースの上手さは、原石の確かさがあってこそのものだと思う。

BOOWYはベストテン番組終焉の象徴だが‥‥

チェッカーズに安全地帯、吉川晃司にCCB‥‥。彼らは、先ずは売れるために、自分らしさ、尖ったところやゴツゴツした内面を隠して着飾る道を選び、それを受け入れた。

そして、ひょっとすると不本意な曲が売れてしまって、それが代表曲になってしまったかもしれない。ミュージシャンとしては辛いだろう。

しかし、職業作家やプロデュースによる楽曲達は、本人達だけでは決して生まれなかった曲でもあり、今でも色褪せない魅力を放っているのもまた事実。

「涙のリクエスト」「ワインレッドの心」「モニカ」「ロマンティックが止まらない」どれも大ヒット曲としてのオーラがある。

日本の音楽界が明確に変わったのは、寿命が近付いていたベストテン番組に引導を渡したBOOWYの登場だったが、チェッカーズに安全地帯、吉川晃司やCCBに代表されるミュージシャン達、先駆者が道筋をつけた後だったことは覚えておきたい。

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